もくはんがしょくにん木版画職人
デービッド・ブル
仕事内容
木版画もくはんが制作せいさくして主に海外に販売はんばいする。
自己紹介
休みもなく,好きな版画はんがの仕事ばかりしています。

※このページに書いてある内容は取材日(2016年11月28日)時点のものです

木版画もくはんがの美しさに衝撃しょうげきを受ける

カナダ・トロントの小さなギャラリーに偶然ぐうぜん入り,日本の木版画もくはんがの美しさに衝撃しょうげきを受けたのは28さいのときでした。現代げんだいでは,木版画もくはんがは室内でがくの中に入れて,上から照明を当てて展示てんじしているのが一般いっぱん的です。しかし,そのギャラリーのオーナーによると,江戸えど時代の人々ひとびと現在げんざいのようにがくの中に入れて「かざる」ことはしないで,油皿あぶらざらくの火で明るくする行燈あんどんや自然の光などのもとで手に取って見ていた,ということでした。そのように見てみると,なるほど,和紙の上に絶妙ぜつみょうかげのようなものが見えてきて,何とも言いようのない立体感が生まれてきます。
すぐに「自分でも木版画もくはんがを作ってみたい」と思いましたが,いくらトライしてもうまくいきませんでした。次第に本格ほんかく的に日本で勉強したいと思うようになり,何度か日本をおとずれたのち,35さいで日本へ移住いじゅうすることになりました

木版画もくはんがのさまざまな工程こうてい

一言でいえば,木版画もくはんがは「木版もくはん刷りの絵」ですが,それを完成させるためには,さまざまな工程こうていが必要です。
まずは木版画もくはんがの大元となるはん下絵(原画)がなければいけません。そのような原画をく人は「絵師えし」とばれます。
次に,そのような版画はんが絵をもとに,色をつける「原版げんぱん」となる版木はんぎをつくらなければいけません。これは「ほり」が担当たんとうします。さらに版木はんぎに絵具を広げて和紙にみ,色を重ねて作品に仕上げる工程こうていが必要です。これは「すり」の役割やくわりです。このように木版画もくはんがはさまざまな工程こうていてつくられています。

ヨーロッパの絵画に影響えいきょうあたえる

浮世絵うきよえとは江戸えど時代の"浮世うきよ”の風俗ふうぞくを題材にしたもので,肉筆画と版画はんがとがあります。代表的な作家である葛飾かつしか北斎ほくさい喜多川きたがわ歌麿うたまろ歌川うたがわ広重ひろしげといった名前はみなさんも聞いたことがあるかもしれません。これらの作家は,木版画もくはんがにおける「絵師えし」にあたる人たちでした。
それら絵師えしたちが描いた絵の美しさや斬新ざんしん構図こうずは,ヨーロッパの絵画の歴史にも大きな影響えいきょうあたえているんですよ。

日常にちじょう生活の中の木版画もくはんが

ただ,ここで注意しなければいけないのは,木版画もくはんがは本来「印刷物」であり,「芸術げいじゅつ」ではなかったということ。木版画もくはんがは,今でいう本や雑誌ざっしといったものにあたるでしょう。つまり日常にちじょう生活の中にんだものだったのです。
だから後世の人が,「額縁がくぶちかざって観賞する芸術げいじゅつ品」にしてしまったのは残念です。みなさんには木版画もくはんがに間近で見て,さわって,本当の美しさをぜひ知ってほしいと思います。

よく質問しつもんするども時代

私は木版画もくはんが工程こうていにおける「ほり」と「すり」の作業を独学どくがくで習得し,現在げんざいまで30年以上,ひとりでその両方の仕事を行っています。
母親によるとおさなころは静かなタイプでしたが,よく質問しつもんするどもだったようで,こわれた時計があったら分解ぶんかいしたこともありました。そのような「疑問ぎもんに思ったことは何でも知りたい」という性格せいかくが,技術ぎじゅつの習得に役に立ったのかもしれません。
1989年からは10年をかけて,江戸えど時代の浮世うきよ絵師えしである勝川春章の「にしき百人一首あづまおり」を木版画もくはんが復刻ふっこくさせました。完成すると注目され,展示会てんじかいにはたくさんの人が集まってくれました。

目のまわるような毎日

そのような職人しょくにんとしての作業のほかに,どんな版画はんが制作せいさくするかを企画きかくして販売はんばいする版元はんもとの社長としての役割やくわりや,工房こうぼうけんギャラリーである「木版もくはん館」の運営うんえいなどの仕事もあります。ここでは実際じっさい木版画もくはんがを体験するコーナーもあるので,その指導しどうもしなければいけません。ほんとうに目の回るような毎日です。
海外向けの販売はんばいが8わりめているので,インターネットなどでの注文は夜のあいだに入ってきます。そのため,朝ごはんを食べながら注文のメールに返事をしたり,倉庫への配送の指示しじを行います。そのあとに「木版もくはん館」が開くので,おとずれる観光客への対応たいおうもしなければなりません。夜おそくまでそれらの作業は続きます。

明治時代の普通ふつうを今の普通ふつう

やはりビジネスはむずかしいですね。社長として15人ほどの人をやとっており,従業員じゅうぎょういんは自分にとって家族みたいなもの。そんな「家族」にきちんと給料をはらわなければいけないという責任せきにんをいつも感じています。
それでも,木版画もくはんがの美しさを伝える仕事はとてもやりがいのあるものです。ただ,いくらすばらしい木版画もくはんがでも,説明しなければそのよさを分かってもらえません。何がよくて,何が悪いのか。木版画もくはんがのすばらしさ,その価値かちをこれからも伝えていきたいと思っています。
明治時代までの日本人は,木版画もくはんが価値かちをきちんと分かっていたんです。だから,「明治時代の普通ふつうをいまの普通ふつうにしたい」,そんな気持ちで,いまわたしは仕事をしています。もう65さいの定年になりましたが,普通ふつうのサラリーマンのように,もうとしだからこの仕事をやめる,なんてことはまったく考えられませんね。

取材・原稿作成:東京書籍株式会社