私わたしは，神か奈な川がわ県けん川かわ崎さき市しの京けい浜ひん工業地帯にある東とう亜あ石せき油ゆ株かぶ式しき会がい社しゃの「京けい浜ひん川かわ崎さきシーバース」で，タンカーから原油を荷に揚あげする作業の総そう責せき任にん者しゃであるバースマスターとして仕事をしています。
シーバースとは，タンカーから原油を荷に揚あげするために，海上に設もうけられた施し設せつです。原油は産油国から大型タンカーで運ばれてきますが，大型タンカーはその大きさのために，水深の浅い港の岸がん壁ぺきには着岸できません。そこで岸がん壁ぺきから離はなれた海上に荷に揚あげの専せん用よう施し設せつを設もうけているのです。
荷に揚あげの際さいにはタンカーをシーバースに係けい留りゅうして，タンカーにホースをつなぎ，海底パイプラインを通して陸上のタンクに原油を荷に揚あげします。東とう亜あ石せき油ゆでは，これを工場で精せい製せいして，ガソリンや灯油，軽油などにして出しゅっ荷かしています。

シーバースには，桟さん橋ばし型とブイ型の2つのタイプがあります。桟さん橋ばし型のシーバースは，海底に支し柱ちゅうを打ちこんで建けん造ぞうされた固定の施し設せつです。一方，ブイ型は，海底の錨いかりにチェーンでつながれ，海の上にぷかぷか浮うかんでいます。
私わたしが働いている京けい浜ひん川かわ崎さきシーバースはブイ型で，正式にはSBM（Single Buoy for Mooring＝一点係けい留りゅうブイ）といいます。SBMは伊い勢せ湾わんの四よっ日か市いち，瀬せ戸と内ない海かいの宇う部べなどにもありますが，1969年に稼か働どうした川かわ崎さきのものが日本初です。京けい浜ひん川かわ崎さきシーバースのブイは沖おき合あい3km，水深30mの海底に8本のチェーンと錨いかりで固定されており，大きさは直径10mほどで，桟さん橋ばし型に比くらべるとはるかにコンパクトです。
ブイには太いロープが2本取りつけられていて，このロープをタンカーの船首につないで係けい留りゅうします。荷に役やく中ちゅうのタンカーは錨いかりを打たず，2本のロープだけでブイにつながれます。陸上の原油タンクからブイまでは，直径1m，長さ3.9kmのスチールパイプが海底に敷しかれています。パイプの端はしには太いゴムホースが取りつけられてブイに繋つながっており，さらにブイからは280mのフローティングホースが伸のびています。
荷に役やくの際さいには，フローティングホースの先せん端たんを，タンカーの甲こう板はんにある巨きょ大だいな蛇じゃ口ぐちのような原油取り出し口に接せつ続ぞくします。そして，船内のポンプの力で，タンカー内の原油を陸上のタンクに向けて送り出すんです。

バースマスターのおもな仕事は，2つあります。1つは，原油タンカーに乗りこみ，船長や水先人と協力して船をブイに係けい留りゅうしたり，ブイから放したりする仕事です。風と潮ちょう流りゅうを考こう慮りょし，直径わずか10mのブイに全長300m以上の大型船をぴたりと寄よせるには，大型船の船長クラスの技ぎ術じゅつと経けい験けんが必要です。
もう1つの仕事は，荷に揚あげの作業（荷に役やく）の指し揮きと監かん督とくです。これもタンカーの船内で行います。タンカーには通つう常じょう，数種類の原油が積みこまれていて，陸上の貯ちょ蔵ぞうタンクも原油の種類ごとに分かれています。私わたしは，タンカーの荷に役やく担たん当とうの一等航海士とともに，荷に揚あげする原油の種類と量，送り先の貯ちょ蔵ぞうタンクを確かく認にんし，船内のポンプの出力を調整しながらタンカーから原油を送り出します。
現げん在ざい，東とう亜あ石せき油ゆのバースマスターは私わたし1人で，タンカーの受け入れは月に4，5回程てい度どです。

原油タンカーが東とう京きょう湾わんの入り口に到とう着ちゃくする日にっ程ていは，遅おそくとも3日前までに確かく定ていします。私わたしは気象情じょう報ほうをもとに，到とう着ちゃく前日の16時までに荷に役やくを行えるか判はん断だんを下します。風速15m以上，波高1.5m以上であれば，中止の判はん断だんをすることもあります。決行と判はん断だんしたら，前日のうちに作業船やタグボートなどの手配をすませ，荷に役やくの計画書も作っておきます。
荷に役やく当日は朝の9時ごろ，タンカーが東とう京きょう湾わん入り口の浦うら賀が水道航路に入るタイミングで，作業船に乗ってブイに向かいます。ブイに着いたら作業員とブイに乗のり移うつり，まずは設せつ備びを点てん検けんします。続いて，普ふ段だんは海底に沈しずめてあるフローティングホースに空気を送って浮ふ上じょうさせます。係けい留りゅうロープも同じように沈しずめてあるので，これも引き上げます。
作業船は4隻せきのチームで，ホースやロープを浮ふ上じょうさせる船，それをタンカーに受うけ渡わたす船，荷に役やくの器材をタンカーに届とどける船，原油漏もれの事じ故こに備そなえ拡かく散さんを防ふせぐオイルフェンスを搭とう載さいしている作業船もあります。私わたしはそれぞれの作業船に無線で指し示じを出し，係けい留りゅうと荷に役やくの準じゅん備びを進めていきます。
準じゅん備びができたら，作業船のうちの1隻せきで沖おきに向かいます。タンカーと合流するのは浦うら賀が水道航路の出口近く，ブイから5kmほどのところです。アシスタントバースマスターや６人ほどの作業員とともに，タンカーに乗船します。

タンカーに乗船したら私わたしはブリッジに向かい，船長や水先人と，係けい留りゅうおよび荷に役やく準じゅん備びの打ち合わせをします。日本人の船長や航海士はまれで，会話は英語の場合がほとんどです。
海上の小さなブイに大型タンカーを寄よせることは，水先人にとっても特とく殊しゅな作業です。貨物船は港の岸がん壁ぺきに着岸させるのが一いっ般ぱん的てきですから。そこで，ブイの構こう造ぞうや付近の海かい況きょうに詳くわしく，ブイへの係けい留りゅうの経けい験けんを積んでいるバースマスターの助言が必要なのです。
ブイに係けい留りゅうする際さいは，風と潮しおの状じょう況きょうを見て，最さい適てきな進入角度を判はん断だんします。ブイの構こう造ぞう上じょう，タンカーを係けい留りゅうさせられるのは，ブイの南東～南西の70度ぐらいの狭せまい範はん囲いです。タンカーの舵かじとりや速度の調整など，細かく水先人と船長に助言します。途と中ちゅうからはタグボート2隻せきに無線で指し示じして，タンカーを押おしたり引ひっ張ぱったりしてもらい，少しずつブイに寄よせていきます。
係けい留りゅうの作業と並へい行こうして荷に役やくの準じゅん備びも進めなくてはなりません。私わたしと一いっ緒しょにタンカーに乗りこんだ作業員が，甲こう板はんで原油の取り出し口とホースを接せつ続ぞくする準じゅん備びを始めますので，荷に役やくの器材を積んだ作業船に指し示じしてタンカーに横づけさせ，タンカーの船長や一等航海士に器材をクレーンで吊つり上あげる指し示じを出してもらいます。
タンカーに乗りこんでからブイに係けい留りゅうするまで1時間から1時間半ほどで，完かん了りょうするのはお昼ごろになります。係けい留りゅうが完かん了りょうしたら，作業船にブイからのホースの端はしをタンカーに運ぶよう指し示じし，甲こう板はんの作業員が原油取り出し口とホースを接せつ続ぞくする作業に入ります。

無事に係けい留りゅうを終え，ホースの接せつ続ぞく作業が始まったのを見み届とどけたら，私わたしはブリッジから荷に役やく制せい御ぎょ室に移うつります。荷に役やく開始の時間を決め，その前にミーティングを開きます。荷に役やく計画の確かく認にんのほか，安全対たい応おうの説明，荷に役やくの書類手続きも行う大事なミーティングです。船長，一等航海士，ポンプ担たん当とうの機関長に加え，輸ゆ入にゅうの代理店，船会社の安全監かん督とく員いんも同席します。積荷が危き険けん物ぶつなので，安全面の確かく認にんはとくに細かく行っています。
荷に役やく制せい御ぎょ室は壁かべ一面の電光パネルに船の各タンクやポンプ，配管やバルブの情じょう報ほうが表ひょう示じされ，操そう作さボタンがずらりと並ならんでいます。荷に役やくの作業は，船の各タンクの原油をポンプで送り出す操そう作さを一等航海士に進めてもらいます。原油タンカー内のタンクは17区画に区切られ，数種類の原油が積みこまれています。また陸上のタンクも種類ごとに分かれています。荷に揚あげの計画に沿そって，どのタンクから原油を何トン，どの陸上タンクに送るかを確かく認にんするほか，ポンプの出力調整の指し示じも必要です。たとえば，タンクの切きり替かえ時にはポンプの出力を弱くしてもらいます。また原油は種類によって比ひ重じゅうが違ちがうので，比ひ重じゅうの重い原油を送り出すときにはポンプの出力を上げてもらいます。
荷に揚あげするトン数しだいですが，1晩ばんかけて3～5万トンを荷に揚あげすることが多く，2晩ばんで10万トンを荷に揚あげすることもあります。食事休きゅう憩けいや仮か眠みんは，アシスタントバースマスターに代わってもらってとります。食事は，緊きん張ちょうする仕事の合間のささやかな息いき抜ぬきですね。
荷に役やくが終しゅう了りょうし，ホースの取りはずし作業を始めるのは朝7時ごろからです。ロープをはずしてタンカーがブイを離はなれたのを確かく認にんしてから，私わたしは作業船に移うつります。その後，ホースとロープを再ふたたび海底に沈しずめる作業を指し揮きし，周囲に油漏もれなどがないかも確かく認にんしてから作業船で陸に戻もどり，ようやく一連の業ぎょう務む完かん了りょうとなります。

原油タンカーの係けい留りゅうも荷に役やくも，事じ故こが起きたら大だい惨さん事じになりかねず，気を抜ぬけない厳きびしい仕事です。風や波，潮ちょう流りゅうなど自然の影えい響きょうを受け，タンカーをブイに係けい留りゅうできても，作業船が風で動けずホースを接せつ続ぞくできないこともあるんです。これまでに作業途と中ちゅうでの中止は2回経けい験けんしています。風とうねりが急に強くなったためでした。作業を途と中ちゅうで中止すると，タグボートなどの経けい費ひがタンカーの運航会社の負ふ担たんになってしまいます。荷に役やくができるかできないかの判はん断だんは，慎しん重ちょうに行っています。
係けい留りゅうと荷に役やくの準じゅん備びを同時並へい行こうで進めることも，この仕事特有のむずかしさです。日本に来たことがない船長さんが「あれもこれも，一度に指し示じされてもできないよ」と，混こん乱らんすることもあるんです。乗組員間のコミュニケーションがスムーズでない船も，混こん乱らんしやすいですね。そんなときは作業に時間をかけ，確かく実じつにひとつひとつの指し示じを実行してもらえるようにしています。
苦労が多い分，気象条じょう件けんの厳きびしい日でも係けい留りゅうと荷に役やくの準じゅん備びがうまくいったときは，何ともいえない達成感がありますね。今年，風の強い日に，作業予定の2時間前ならまだ風が弱いと判はん断だんし，タンカーの船長に連れん絡らくして予定を2時間早めてもらったことがあります。ブイに係けい留りゅうしホースさえつないでしまえば，その後，多少風が強くなっても問題ないんです。私わたしのこの読みはうまく当たって無事に作業を完かん了りょうでき，大きな満足感がありました。
原油から作られるガソリンや灯油などは，日々の生活に不ふ可か欠けつなものです。海上を運ばれてきた原油を荷に揚あげするこの仕事には，日本に住む人たちの生活の根本を支ささえているという誇ほこりとやりがいを感じています。

私わたしの家には，かつて船乗りになりたかった父が集めた，帆はん船せんの写真集や航海の本がたくさんありました。そのため，幼おさないころから船の世界は身近で，船乗りにはあこがれがありました。やがて船員の働き方についても本を読んで知り，通つう勤きんの苦労がないのはいいなと思いました。世界を航海する外航船は，長期休きゅう暇かがとれるのも魅み力りょくでした。それで，商船大学に進学し，乗船実習を経へて海かい技ぎ士の資し格かくをとりました。
私わたしには，巨きょ大だいな船を動かしたいという願望があったんです。ところが商船大学を卒業した年は，大型船を所有する海運大手3社でさえほとんど求人がなかったんです。そこで，外航タンカーも運航している水産会社の子会社に就しゅう職しょくして，4800トンの冷れい凍とう貨物船に乗りました。やがて5年後に転機が訪おとずれ，大手の川かわ崎さき汽き船せんに中ちゅう途と採さい用ようされて，念願だった30万トンの大型タンカーに二等航海士として乗ることになりました。うれしかったですね。タンカーはとにかく大きくて，操そう船せんも荷に役やくもそれまで乗っていた船とはスケールがまったく違ちがう世界でした。
そのまま定年までいくつもりが，人生は思いがけないものです。川かわ崎さき汽き船せんの顧こ客きゃくで，東とう亜あ石せき油ゆのグループ会社である昭しょう和わシェル石せき油ゆ（現げん：出いで光みつ興こう産さん）から人材の要よう請せいがあり，タンカーの運航支し援えんの仕事を4年ほどしていたとき，グループの製せい油ゆ所じょのバースマスターが相次いで辞やめられることになり，船長経けい験けん者しゃである私わたしに白羽の矢が立ったんです。バースマスターは，なろうと思ってなれる職しょく業ぎょうではありません。たまたま巡めぐってきた幸運だと思い，私わたしはこの話を受けることにしました。
バースマスターには，最低でも大型タンカーで荷に役やくを担たん当とうする一等航海士の経けい験けんが必要で，できれば決けつ断だん力りょくが求められる船長の経けい験けんもあったほうがいいんです。川かわ崎さき汽き船せんは，最後の航海で私わたしを4万8千トンのコンテナ船の船長に任にん命めいしてくれました。当時まだ39歳さい。異い例れいの若わかさでの抜ばってきで，粋いきなはからいだったと感かん謝しゃしています。

もしもみなさんに，将しょう来らいやりたい仕事があったら，なるべく言葉にしてまわりの人に宣せん言げんしましょう。言葉にすることは，願いをかなえるための第一歩です。私わたしは，小中学生のころから「将しょう来らい，外航船の船乗りになる」と宣せん言げんしていました。
でも，大学受験の前に一度，道を間ま違ちがえそうになったことがあります。航海士を養成する商船大学より，無線や衛えい星せい通信などで陸上や他船と交信する通信士の資し格かくがとれる電気通信大学のほうが偏へん差さ値ちが高く，こちらの受験に挑ちょう戦せんしようかと迷まよったのです。すると担たん任にんの先生が，「君は船長になりたいのだろう。航海士からは船長になれるけれど，通信士からはなれないよ」と，教えてくれました。考えてみると，ふだんから私わたしが「船長になる」といっていたので，先生はこんな助言をしてくれたのです。その後，船の専せん任にんの通信士の制せい度どはなくなり，航海士や船長が兼けん任にんするようになりました。もし電気通信大学に入学していたら，船乗りになることはできても，船長になるという夢ゆめはかなわなかったことでしょうね。