私わたしは，琵び琶わ湖この沖おき合あいに浮うかぶ沖おき島しまという島に生まれ育ち，琵び琶わ湖こで漁りょう師しをしてきました。沖おき島しまは，湖にある島としては日本で唯ゆい一いつ，人が住む島です。わずかな平地に家々が密みっ集しゅうし道も狭せまいので，島内には車やバイクが1台もありません。移い動どう手しゅ段だんは，がっしりした荷台つきの三輪車です。
沖おき島しまは古くから湖の漁業と水運で栄え，江え戸ど時代から1960年代までは石材の切り出しも盛さかんでした。現げん在ざいのおもな産業は漁業で，島の人口はおよそ120戸，240人です。
ご存ぞんじのように琵び琶わ湖こは日本最大の湖で，魚，エビや貝などの水産物が，それは豊ゆたかなところです。アユ，ビワマス，ホンモロコ，ニゴロブナ，イサザ，ハス，ワカサギ，テナガエビやスジエビ，セタシジミ，イシガイ（タテボシガイ）などさまざまな恵めぐみがあり，琵び琶わ湖こだけにすむ固有種も多いのです。
沿えん岸がんの開発が進んだことで，近ごろは魚もエビや貝もめっきり減へってしまいました。漁りょう師しも高こう齢れい化かしています。でも沖おき島しまには，毎日のように漁に出る漁りょう師しが今でも60人近くいます。琵び琶わ湖こ全体の漁ぎょ獲かく量りょうのおよそ半分を，沖おき島しまの漁りょう師しが担になっているんです。私わたしもその1人で，70年もの間，琵び琶わ湖こでさまざまな漁をしてきました。

魚ぎょ介かいには旬しゅんがあり，漁に適てきした漁期があります。私わたしは小型の漁船に乗り，若わかいころは父親と2人で，結けっ婚こんしてからは妻つまと一いっ緒しょに，妻つまが亡なくなってからは1人で，四季折々の漁をしてきました。
まず春3月になると，ホンモロコという小魚の刺さし網あみ漁りょうが始まります。ホンモロコはこの時期，産さん卵らんのため，湖の深場から浅い岸辺に群むれになってのぼってくるんです。
5，6月と12月には，「たつべ」という円えん筒とう形けいのかごを使ったテナガエビ漁をします。このかごは，スジエビ漁でも使われる琵び琶わ湖この伝でん統とう的てきな漁法です。
6月になるといよいよ，琵び琶わ湖この魚でもっとも漁ぎょ獲かく量りょうの多いアユの刺さし網あみ漁りょうが始まります。アユの寿じゅ命みょうは1年です。晩ばん秋しゅうにふ化し，6月ごろに食べられる大きさになるんです。アユ漁の漁期は，産さん卵らん期きを迎むかえる前の8月20日までです。
ビワマスの刺さし網あみ漁りょうも夏で，7月ごろから9月30日までが漁期です。ビワマスは，もともと琵び琶わ湖こにしかいない固有種で，サケ・マスの仲間です。50cm以上の大きさになり，サケよりはるかにおいしいんですよ。アユ漁とビワマス漁は漁法が同じで，両方を同時にはできません。私わたしは，夏の間はビワマス漁ひと筋すじでやってきました。
マス漁が終わると，11月末までまたホンモロコです。「出でモロコ」といって，産さん卵らんを終え，浅い岸辺のヨシ原から出て湖の深いところに向かうところをねらうんです。
年が明けて2月ごろになると，ニゴロブナのシーズンです。ニゴロブナは琵び琶わ湖この伝でん統とう的てきな発はっ酵こう食しょく「ふなずし」の原料です。お腹なかに卵たまごがびっちりつまったものに価か値ちがあるので，産さん卵らん期きの2月～4月ごろが漁期です。このように私わたしは，琵び琶わ湖この豊ゆたかな恵めぐみに生かされてきました。

私わたしがいちばん好きなのは，ビワマス漁です。何しろ魚が大きいから，網あみを上げるとき，魚の動きが手にビンビン伝わるのが何ともいえない。それに大きくて鋭するどいあの目。まるでタカの目のようです。琵び琶わ湖この漁りょう師しは，「マス漁は3日やったら忘わすれられない」といいます。淡たん水すい魚ぎょの王様のような，ビワマスという魚がもつ魅み力りょくのせいですね。
ビワマスは，水中に網あみをカーテンのように張はる「刺さし網あみ漁りょう」でとります。固定式の網あみを，漁期の最初に水中に設せっ置ちします。1枚まいの網あみは幅はば30m，高さ8mで，20枚まいがワンセット。浮うきのついたロープで水面から吊つるし，2枚まいごとに錨いかりで湖の底に固定してあります。私わたしは，妻つまと漁をしていたときは4セット，1人になってからは3セット仕し掛かけていました。これがひと晩ばんで網あみを上げきれる限げん界かいなんです。
網あみを上げに行くのは，真夜中です。船につけたローラーで網あみを引き上げ，網あみにかかったマスをはずし，網あみはまた水中に戻もどしていきます。6時ごろにはこの作業をすべて終え，とれたマスは注文があれば沖おき島しまにも水みず揚あげしますが，基き本ほん的てきには 仲買業者が集まる湖岸の堀ほり切きり港で，契けい約やくしている仲買業者に販はん売ばいします。
網あみを使う漁では，網あみのメンテナンスも重要な仕事です。網あみには水中の汚よごれがつくんです。網あみが汚よごれると重くなって破やぶれるし，魚もかかりにくくなります。ビワマス漁の網あみは，少なくとも20日から1か月ごとに交こう換かんし，汚よごれた網あみは陸に上げて洗あらい，破やぶれたところを補ほ修しゅうします。網あみの仕立ても自分でやりますし，漁業にはこうした地道な仕事が多いんですよ。

ビワマスはいつも同じ場所にいるわけではなく，食べ物の小魚を求めて回遊しています。だから漁がむずかしいんです。湖のどのあたりの水深何メートルに網あみを仕し掛かけるかが，漁りょう師しの腕うでです。ビワマスは，12，3℃の冷たい水温帯が好きで，水が冷たい春先には浅いところにいますが，水面が温まるにつれだんだん深場に移い動どうし，お盆ぼんすぎには水深50～80mの深場を回遊しています。ただ，琵び琶わ湖この水温は一いち律りつに同じではなく，同じ水深でも雪ゆき解どけ水が流ながれ込こむ北部のほうが水温が低いんです。どの場所なら水深何メートルが適てき温おんか，予よ測そくして網あみを張はらないと，ビワマスはとれません。
また，潮しおの流れを読むことも欠かせません。琵び琶わ湖こには海と同じように潮ちょう流りゅうがあります。たいていは湖の真ん中方向に向かって，南北から潮しおが流れます。漁りょう師しは，北岸から中央に向かって流れる潮しおを「上のぼり潮しお」，その逆ぎゃくを「下くだり潮しお」と呼よんでいます。真ん中あたりは潮しおの流れがゆるいことが多いですね。潮しおが速いと網あみの目が広がらず，魚はかからない。潮しおに押おされて網あみを上げることさえ困こん難なんです。
なお，水温も潮しおも一定ではなく，季節，風向きや天候，川から湖に流ながれ込こむ雨の量などによって，たえず複ふく雑ざつに変化するんですよ。潮ちょう流りゅうの方向が逆ぎゃくになることもあります。漁りょう師しは，複ふく雑ざつな条じょう件けんから水温や潮しおを予よ測そくしなくてはならないんです。
網あみを仕し掛かける場所は，経けい験けんと勘かんで決めていますね。私わたしの父は毎日こまめに漁の日にっ誌しをつけていましたが，私わたしは頭の中に記き憶おくを刻きざみつけ蓄ちく積せきしてきました。経けい験けんの膨ぼう大だいな情じょう報ほうをもとに，ビワマスがどこにいるかを想そう像ぞうして，網あみの場所を決めるんです。
でも相手は自然です。何日もとれないこともザラです。だからこそ，思ったとおりに魚がとれると，何よりもうれしい。自分の経けい験けんや能のう力りょくが認みとめられ，報むくわれるわけですから。それに「今日はどうだろう，魚はかかっているかな」という胸むねのときめきも漁のだいごみです。この喜びとワクワクがあるからこそ，苦労があっても毎日続けられるんです。

あるていど経けい験けんを積んだ30代のころ，私わたしは漁りょう師し仲間から「毎日屋」というあだ名をつけられました。天気が荒あれて他の漁りょう師しが沖おきに出るのをためらうような日でも，わずかな風雨の止やみ間をついて，毎日のように漁に出たからです。
漁業は，他人の行動に左右されず，自分の判はん断だんと責せき任にんで行うものだと私わたしは思っています。当時は天気予よ報ほうも今ほど正せい確かくではなく，自分の経けい験けんと観察力だけが頼たよりです。雲や空の様子をよく観察して沖おきに出ていました。危あぶないと思ったらすぐに戻もどりますが，怖こわいのは天気の急変と突とっ風ぷうです。とくに，急速に発達する日本海の冬の低てい気き圧あつが怖こわい。西岸の岬みさきの間に虹にじがかかるのが嵐あらしの前ぶれで，虹にじが見えるとすぐに引き返すのですが，あっという間に突とっ風ぷうが吹ふいて湖面に水みず煙けむりが立ち，ヒヤリとしたこともあります。
こうして毎日のように沖おきに出ることで，私わたしは人よりも多く漁の経けい験けんを積んだと思います。経けい験けんは自信につながります。ビワマス漁の網あみは大きいので移い動どうの作業はたいへんなんですが，ここと見定めた場所がどうにも不漁だと，別の場所に網あみを移うつします。他の漁りょう師しが大漁した場所にちょこちょこ網あみを移うつす人もいますが，ビワマスは回遊しているから，必ずとれるというわけでもありません。私わたしは不漁でも自分を信じ，10日はじっとしんぼうして，同じ場所でマスを待ちます。ウロウロ動くよりも自分の経けい験けんと勘かんを信じること，結局はそれが漁の成果につながるんです。

私わたしは小学生のころから，父を手伝って漁をしていました。7歳さいのときに母が亡なくなって，家に人手がなかったせいもあります。戦争が終わって，世の中が「自由」になったのをはきちがえて，「学校に行くかどうかは自分の自由」と，中学校にはろくに行かず漁ばかり。勉強はきらいではなかったのですが，漁もよほど面おも白しろかったんですね。
中学校を卒業すると，当たり前のように漁りょう師しになりました。父の船に乗って2人で四季折々に漁をしましたが，当時は魚も貝も多く，シジミなんか船が沈しずむほどとれたものです。それに何でも値ね段だんがよかったし，やればやるほど漁業は面おも白しろくなった。
父は漁の日にっ誌しをつけるし，漁法の研究も熱心でした。私わたしも父を見習い，アユの刺さし網あみ漁りょうでは，網あみの改良をするなどいろいろ工く夫ふうをしました。おかげで，父と私わたしはまわりから「よくとるチームだ」といわれたものです。
やがて父は網あみのつくろいなど陸の仕事に回り，私わたしは妻つまの英ひで子こと一いっ緒しょに漁をしてきました。漁は1人でもできますが，2人だと手早く網あみ上げの作業ができ，その分，網あみの数を増ふやせるんです。妻つまが亡なくなってからは1人で漁を続けましたが，2018年に70年間の漁りょう師し生活にきっぱり区切りをつけ，船も漁具も人に譲ゆずりました。何ごとも引ひき際ぎわが肝かん心じん。無事なうちに辞やめるのがいいと決断しました。

私わたしが子どものころ，島にはまだ水道がなくて，飲み水も生活の水も琵び琶わ湖この水でした。当時はそれほど水がきれいだったんです。
遊びは，もちろん湖です。夏は毎日，湖で遊んで，宿題なんかいつも白紙のまま。昔は洗せん濯たくに木のたらいを使っていましたが，このたらいを湖に浮うかべて船みたいに乗って，よく遊びましたね。オールのかわりに両手に板切れをもって，こぐ競争をするんです。私わたしは泳ぎが得意だったから，こっそり潜もぐって友だちのたらいに近づいて，転てん覆ぷくさせちゃう。たらい船はいったん転てん覆ぷくすると，また乗るのがたいへんなんですよ。面おも白しろかったですね。

勉強はしなかったけれど，私わたしは本を読むのは好きでした。中学校の校長先生が，「本を読む者と読まない者とでは，人間に大きな差が出る」と話されたのをよく覚えています。今，人前で郷きょう土ど史しなどのお話ができるのも，本を読む習しゅう慣かんがあったおかげだと思います。
みなさんにもぜひ，本を読む習しゅう慣かんをつけてほしいですね。本は人生の教きょう師しです。どんな本でも，人間を成長させる栄養になってくれます。
それから，自分の頭で考えて判はん断だんし，行動することの大切さもお伝えしたいです。漁業では，いくら経けい験けんを積んでも魚がとれないことはしょっちゅうです。でも，自分で考えて判はん断だんした結果なので，誰だれのせいでもない。なぜとれないのかを考え，腕うでを上げていくしかないんです。他人に左右されれば，失敗は他人のせいになり，成長できません。失敗をおそれず，自分の頭で考え，たくましく育ってほしいと思います。