-
- 宮城県に関連のある仕事人
-
1942年 生まれ
出身地 宮城県
菅原 進 -
子供の頃の夢
-
クラブ活動(中学校)
-
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。 -
出身高校
- 【このページに書いてある内容は取材日(2016年12月16日)時点のものです】
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
小さな
連絡 船「ひまわり」の船長おれは,
宮城 県北東部の海にある大島という島と,約7キロ離 れた対岸の気仙沼 港とを結ぶ12人乗りの小さな連絡 船「ひまわり」の船長をしてる。「菅原 さん」ではなくて,「ひまわりさん」と呼 ばれることも多いよ。連絡船 をはじめて,40年以上になる。船は今の「ひまわり」で3代目だな。
大島と気仙沼 の間には大きな客船が定期船として走っているけど,最終便が午後7時には出てしまうから,気仙沼 で残業をしてから大島に戻 る人や,気仙沼 でお酒を飲んでから大島に帰る人は間に合わないんだ。だから,最終便が終わった後の夜間に「ひまわり」を走らせる。夜間のタクシーみたいなものだね。船長のおれが一人で運転して,エンジンの手入れなんかも自分でやってるんだ。最近は救急艇 があるから少ないけど,昔は急病人を乗せて運んだりもした。お産の人や亡 くなった人,また,火葬 に行くときもよく頼 まれたよ。それぞれ,数百人は運んだんじゃないかな。 -
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
東日本大
震災 の日(※
菅原 さんは2011年3月11日の東日本大震災 が起きたとき,大島にいた。船は港にあったが,このままでは船が津波 にやられてしまうと思った菅原 さんは,「ひまわり」に乗 り込 んで沖 へ向かった。津波 が迫 ってきた――)
もう,船の前にいろんなものが浮 いてるのよ。家が流れてきたり,自動車やトラックも。前を見ると,とてつもなく大きな津波 が迫 ってくる。もうこれは死ぬかもしれない,と思って,片手 は船のハンドルを持ったまま,もう片方 の手を近くにあった救命胴衣 に手をかけたの。諦 めたんだな。そしたら,不思議なんだけど,どんどん眠 くなって,何でこんなに眠 いんだと思ってるうちに,すーっと眠 ったというか,気を失ったんだ。でも,大きな波が来て,流れてきた家が,船にどーんとぶつかった。それで目が覚めて,気づいたんだ。ああ,おれはおかしなことを考えたなと。それで謝 ったんだ,「ひまわり」に。おれが悪かったよ,おれは自分のことしか考えてなかった。おまえとは一心同体だ,絶対 おまえのことは助けるからな,って。それで入り口のドアにも鍵 をかけて,窓 にも鍵 をかけて,よし,「ひまわり」,行くぞ!と気合いを入れて,20メートルくらいの津波 に全速力で向かっていったんだ。 -
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
-
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
大島へ
戻 る(※
津波 は収 まったが,強い引き波で沖 へ流されるため,港へは戻 れない。安全なところに船を進めた。夜になった。)
まわりはガレキだらけ。大きな船も,トラックも,家も流れてくる。陸のほうで火事になっているのも見える。心配で,早く大島に戻 りたかったけど,スクリューがガレキに引っかかったら壊 れてしまうから,ゆっくりとしか走れないんだ。
(※船を進めるうちに朝が来て,明るくなってきた。大島の近くまで来た。)
大島に近づいてきたけど,島のまわりの海がガレキだらけで,こりゃいかん,戻 れないかもしれないと思った。どうしようかと思ったけど,なぜかおれの目の前でガレキがすすっと動いて,道ができたんだ。それで,できたすき間を通っていった。おれが通った後は,またすすっと元に戻 って,道はなくなる。あれはほんとに不思議だったね。海が道を作ってくれたみたいで,「ありがとう」って海に声かけたよ。
島に戻 ったら,足がふわふわしてた。それで歩き出したら,ばあちゃん(妻 のヨシ子さん)が来て泣くんだ。それ見ておれも泣きそうになったけど,駄目 だ,今は泣いてられないって。だから早く泣きやんでくれって言ったよ。でも助かった,島に帰ってきた,って,そのときに実感した。
(※菅原 さんと家族は無事だったが,家は住めない状態 になってしまった。) -
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
「ひまわり」,大島と本土を結ぶ
唯一 の交通手段 に(※
津波 で多くの船が流され,大島と気仙沼 を結ぶ交通はなくなった。大島は孤立 した。)
大島では火事が続いていたけど,消防 用の機械や人手が足りない。「船を出してくれ」と頼 まれて,3月13日に震災後 初めて,人を乗せて気仙沼 に向けて船を出した。びっくりしたのは気仙沼 の建物や家なんかがなくなっていて,がらーんとしてのっぺらぼうなんだよな。どこがどこなんだか,全然わからない。ガレキもまだ多いから慎重 に船を走らせた。
気仙沼 に行くと,港に人が何人もいる。大島の家族に連絡 がつかなくて,どうなったかわからない人もいる。ほんなら早く行ってみろって乗せた。大島の人もいた。「料金はいくら?」って聞かれたけど,「今はお金なんかいらないから乗って」って乗ってもらった。そうしたら「ありがとうございました」ってお礼を言われた。でも,おれは津波 に生かされたんだから,津波 の被害 にあった人からお金をもらうわけにはいかないよ。「いくら?」って何度も言う人がいても,「いいから乗れ乗れ」って,乗せた。そうやって行ったり来たり,人や物を運ぶようになったんだ。最初は1日に3往復 しかできなかったけど,その後はもうピストン輸送 で。定期船がないもんだから,港では人がいっぱい待ってて,震 えながら船を待ってる。最終的には1日6往復 した。 -
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
被災 した人からお金をもらうわけにはいかない4月になって,苦しい人たちからまだお金はもらいたくなかったけど,どうしても出したいっていう人がいる。しょうがないから,100円から300円の
範囲 で「義援金 」としてもらうようにした。でも,封筒 に1万円を入れていく人もいるんだ。5万円,置いていった人もいた。そんなのいらないって言ったけど,「船長さんにあげるんじゃなくて,船にあげるんだから」って。お礼の手紙を書きたいと思っても,住所も電話もわからないから書けないんだ。
たまったお金は仮設 住宅 に入っている人たちに寄付 した。船の燃料代 もあったりするからばあちゃん(妻 のヨシ子さん)には「お金もないのにそんなことして,これからどうするの」って怒 られたんだけど,まあまた稼 ぐからいいやって。 -
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
「ひまわり」の
椅子 は自分で取りつけたおれは中学を卒業して,
漁師 になったんだ。その後,エンジンの整備 ができる「機関士」の資格 を取った。マグロ漁船にも乗ったし,南極観測船 「ふじ」の整備 をしたこともあるよ。マグロ漁船は一度乗ると2年は帰れない。世界中に行ったよ。
連絡船 を始めたのは,1970年,29歳 のときだ。気仙沼 と大島の距離 は約7キロと近いけど,定期船の最終便が出てしまうと,すぐ目の前に大島が見えるのに,帰れなくなってしまう。これは仕事になると思って,ためたお金で船を手に入れて,連絡船 を始めたんだ。最初は大島一周クルーズなんかもやってた。
今の「ひまわり」は連絡船 としては3代目だ。船体は造船 所で作ってもらったけど,座席 は廃車 になったバスを買い上げて,バスから外してつけ替 えた。ちゃんとリクライニングができる椅子 なんだ。窓 をつけたり椅子 をつけたりするのも,ぜんぶ自分でやったんだ。客室以外の部屋も,自分で作ったんだよ。今はましだけど,忙 しいころは救急搬送 も多くて,あんまり寝 る時間もなかった。もう,夜中でも明け方でも船を走らせた。船に寝台 を作って,船の中で寝 てた時期もあったな。 -
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
鳥や動物が好きな少年だった
小さい
頃 は山に入って鳥の巣を見つけたりするのが楽しみだった。学校が終わったら友だちと山に入って,「あのしっぽの長いのはサンコウチョウじゃねえか?」「ほんとだ」なんて言い合ってた。夏休みの宿題で提出 した,シジュウカラの観察記録で文部大臣努力賞をもらったこともあるんだ。
トンビを飼 ったこともある。トンビ,おれに慣 れて,学校行くときについてくるんだ。おれが歩く上をさーっと飛んでくるんだ。そんでたまにピーヒョロリ,って鳴くんだよ,おれの方を見つめて。死んだときは悲しくて泣いて泣いて,1週間ほど,飯も喉 を通らなかった。
昔から鳥や動物になつかれるんだ。オウムも飼 った。マグロ漁船に乗ってるときは,サルを飼 ってたこともある。「風呂 いくぞー」って呼 んだら,タオルも持って,ちゃんと石けんを探 して持って来て,船の風呂 のドアの前で待ってんだよ。それで一緒 に風呂 に入るんだ。かわいかったよ。 -
-
菅原 進 -
仕事内容
宮城 県の大島と対岸の気仙沼 港を結ぶ連絡 船「ひまわり」の船長。 -
自己紹介
連絡 船をはじめて40年以上。昔から動物が好きです。
明るく,正直に
難 しく考えすぎると前に進めなくなるから,あんまり考えこまずに,正直に,明るく生きるのがいいな。昔から「正直者はバカを見る」っていう言葉があるけどもね,バカは見ないよ。正直にしていると,損 するときもあるかもしれんけど,いいことのほうがいっぱいあるからね。とにかく明るく前に進んで,難 しいことは,後でゆっくりできるときに考えるといいんじゃないかな。
助け合いは大事だし,おれの話を聞いて「菅原 さんみたいな人になりたい」って言ってくれる子もいるんだけど,無理にやることはないよ。自分なりの生活をしていって,やれる範囲 でやらなくちゃね。自然の成り行きでいくのがいちばんいいんだよ。津波 でも何でも,自分が死んでしまったら元も子もないんだから。
あとは何でも経験 してみるのがいいな。経験 は人の心を動かすからね。悪いことでもいいことでも,経験 は必ずその人の役に立つはずだ。おれもマグロ漁船で世界中を回ったりしたことは,いい経験 になったよ。そしてやっぱり,何でも努力が大事だな。
(※「EduTownあしたね」取材班 補足 ) -