僕ぼくは国立科学博物館の動物研究部に所しょ属ぞくしている研究者です。博物館には標本があります。その標本を作ったり、寄き贈ぞうされた標本を管理したりする仕事の一方で、研究者として研究も行うのが僕ぼくの仕事です。標本では哺ほ乳にゅう類るいが、研究者としてはモグラが僕ぼくの専せん門もん分野です。
標本というのはとても重要なもので、例えば「動物のことを知るためには図ず鑑かんを読めばいい」と思う人がいるかもしれませんが、やはり実物の標本にはかないません。体がどうなっているか、毛皮がどんな感じか、内部の骨こっ格かくはどうなっているか……。現げん在ざいでは技ぎ術じゅつが発達して、写真から立体モデルを作ったり、３スリーDディーデータを残したりすることもできるようになりましたが、やはり実物の標本が持つ情じょう報ほう量りょうにはかなわないのです。
また、標本には、目に見えない部分にも多くのデータが残されています。今、地球温おん暖だん化かなどにより、地球環かん境きょうは急速に変化していますが、動物や植物の体にはその記録が残されています。例えば、現げん代だいの技ぎ術じゅつでは、20年生きたカモシカの角を調べた場合、その個こ体たいがどんなものを食べ、どんな環かん境きょうで生きてきたかを分ぶん析せきすることも可か能のうになりつつあります。つまり、その20年間で起きた地球環かん境きょうの変化を調べることができます。この標本を残しておけば、もしかしたら、遠い未来にはさらに技ぎ術じゅつが進歩して、今以上のことがわかるようになっているかもしれませんし、地球の未来について何か役立つことがあるかもしれません。標本作りは、未来の人たちへ向けてサンプルを送り出す作業なのです。

死んだ動物や植物は、そのままだと朽くちて土にかえってしまいます。未来に役立ててもらうためには、きちんとした標本の形で残していくことが重要です。国立科学博物館には現げん在ざい500万点以上の標本が収しゅう蔵ぞうされていて、僕ぼくが担たん当とうする哺ほ乳にゅう類るいの標本は約8万6千点です（2024年7月時点）。その大半は茨城県つくば市にある「国立科学博物館　筑つく波ば研究施し設せつ」に保ほ管かんされており、僕ぼくも普ふ段だんはそこで勤きん務むしています。
朝は7時30分に出しゅっ勤きんして、研究室で着き替がえ、最近は寄き贈ぞうされたカモシカの頭を標本にする作業を週２～４回ほど、午前中に行っていますが、週によっては他の用事で作業できないこともあります。博物館の展てん示じ室しつでよく見るような、生きている姿すがたに似にせた形の標本もありますが、普ふ段だん、僕ぼくが作成するのは、骨ほねだけの標本や、皮をはいで中に綿わたを詰つめた「仮かり剥はく製せい」という形の標本がメインです。昼食後は収しゅう蔵ぞう庫こでいろいろな標本の整理やデータの登録を行います。標本は作るだけでなくきちんと登録をすることも重要で、１つ１つ分類をして標本番号を書き、ラベルを書いて、それらの情じょう報ほうをデータベースに登録します。退たい勤きんはだいたい17時30分か18時くらいです。
ときどき動物園などから「動物が死し亡ぼうした」という連れん絡らくが来ることがあり、そうなると必要な道具を持ち、すぐ現げん場ばに向かいます。通つう常じょう、動物の死体は、公用車に積みこんで、つくばの研究所に運びます。ただ、ゾウやサイ、キリンなど、公用車に乗らないサイズの大きな動物の場合は、急いでトラックを手配して、現げん場ばに向かいます。現げん場ばに着くと、まずは、検けん視しを行う動物園の獣じゅう医いさんの解かい剖ぼうを手伝います。大きな動物を解かい体たいするのはかなり大変ですが、僕ぼくたちのような、動物の身体構こう造ぞうの知ち識しきがあり解かい体たいに慣なれている人間が現げん場ばに行くと、非ひ常じょうに早く解かい体たいが進みますし、コストを抑おさえることにもつながります。検けん視しが終わったら死体を運べるように解かい体たいし、手配したトラックに死体を積み、僕ぼくの立ち会いのもと、つくばの研究所に運びます。そこから道具の片かた付づけなどを行い、帰き宅たくは深夜になることもあります。この作業は、年に1回あるかどうかのとても忙いそがしいイベントです。

実は今、標本にしなくてはいけないものをたくさん抱かかえているため、それが大変なことの１つです。なかでも多いのが、天然記念物であるアマミノクロウサギです。鹿児島県の奄あま美み大おお島しまと徳とく之の島しまにしか生息していないアマミノクロウサギは絶ぜつ滅めつ危き惧ぐ種しゅで、現げん地ちの交通事じ故こなどで死し亡ぼうした個こ体たいを送ってもらい、こちらで標本にしています。僕ぼくがこの標本作りを始めたころは、アマミノクロウサギは人間が島に持もち込こんだ猫ねこや犬、マングースなど天てん敵てきの影えい響きょうで数がかなり減へってしまい、全体で5千個こ体たいくらいではといわれていました。現げん在ざいは保ほ護ご活動でそれらの天てん敵てきを排はい除じょしていったため（奄あま美み大おお島しまのマングースについては、根こん絶ぜつしたという宣せん言げんが2024年9月に環かん境きょう省しょうから出されました）、2万個こ体たいくらいまで数は回かい復ふくしています。しかし、数が増ふえた分、人間が運転する車にひかれる個こ体たいが増ふえてしまい、今は1か月に20体以上のペースでこちらに送られてきます。なかには大きな傷きずがついているものや、見ていると心が痛いたむもの、傷いたんでしまっていて標本にする作業が大変なものもあります。それでも、この死体を無む駄だにするわけにはいきません。「諦あきらめない、弱音を吐はかない」というのはいつも意い識しきしています。アマミノクロウサギの標本は、今、千点を超こえています。
標本作りにも体力が必要ですが、そもそも動物学者というのは屋外で研究対たい象しょうの動物を捕つかまえたり観察したりといったフィールドワークが多く、とても体力が必要な仕事です。また、動物が死し亡ぼうして急に動物園から呼よばれ、はるばる長崎県まで行ったこともあります。だからこそ最近は、休日はしっかりと休んで、家族と過すごすことを大切にしています。

標本作りは体力的には大変ですが、それでも数がたくさん集まると達成感があります。僕ぼくはもともと昔から何かを集めるのが好きな性せい格かくで、「パズルのピースが1つ足りなくて完成しない」ということがものすごく悔くやしい性しょう分ぶんです。だからとにかく標本をたくさん作ったり集めたりしているのも、自分の性せい格かくに合っているんだと思います。
また、仕事には、国立科学博物館での展てん示じを企き画かく・監かん修しゅうすることも含ふくまれます。2024年には、同じ動物研究部の田た島じま木ゆ綿う子こさんと僕ぼくとで監かん修しゅうした『大だい哺ほ乳にゅう類るい展てん３―わけてつなげて大行進』という展てん示じが行われ、多くの方に足を運んでいただきました。そういう企き画かく展てん示じが好こう評ひょうなことはもちろんうれしいですが、それよりもさらに、「これらの標本がもっと役立ってほしい」という思いのほうが強いです。自分が生きている間には、今、博物館にある標本のことを全部知りつくすことはできません。だからこそ博物館で状じょう態たいよく保ほ管かんされ、永えい久きゅうに利用され続けてほしい、と願っています。学生のころによく言われたのが「生きているうちに評ひょう価かされようなんて思うな」という言葉です。研究が進められるのも、先人たちの残してくれた多くの標本のおかげです。僕ぼくが2005年に国立科学博物館に就しゅう職しょくして標本管理を引ひき継ついだとき、標本番号は3万3千番台でした。それが今や8万6千番台にまで増ふえました。先人たちから引ひき継ついだものに加えて自分が標本を増ふやして、これだけの数を未来に贈おくることができた、という達成感がうれしいですね。

2023年8月に、国立科学博物館はコレクションの収しゅう集しゅうや保ほ全ぜん費ひ用ようのためにクラウドファンディングを行いました。標本は作ったり集めたりするだけでなく、温度や湿しつ度どを適てき切せつに保たもった収しゅう蔵ぞう庫この中できちんと保ほ管かんすることが重要です。しかし、新しん型がたコロナウイルスの流行で入館料の収しゅう入にゅうが減へったこと、物ぶっ価か高だかで収しゅう蔵ぞう庫この建けん築ちく費ひ用ようがかさんだこと、世界情じょう勢せいの影えい響きょうによる光こう熱ねつ費ひの高こう騰とうなどが原げん因いんで、当時は運うん営えいが非ひ常じょうに厳きびしい状じょう況きょうになっていました。
目標額がくは当初「1億円」としていて、始める前、僕ぼくたちは「絶ぜっ対たいに無理じゃない？」と話していましたが、開始してみると想定をはるかに超こえたスピードでご協力していただき、３か月足らずで、最終的に、約5.7万人のみなさまから約9.2億円もの金きん額がくが集まりました。この結果には、僕ぼくたちがいちばん驚おどろきました。
2024年の3月には、返礼品の１つだった「哺ほ乳にゅう類るいの剥はく製せい作り体験」を、僕ぼくが講こう師しをして実じっ施しし、出しゅっ資ししてくださった方々に体験していただきました。クリハラリスを仮かり剥はく製せいにする、という体験をしていただくもので、果たして喜よろこんでくださるのか、開かい催さいするまで不安ではありましたが、みなさんとても好こう奇き心しん旺おう盛せいに楽しんでくださいました。多くの方の「知的好こう奇き心しんを満たす」というのも僕ぼくたち博物館の大きな役やく割わりだなと、改めて実感しています。

子どものころの夢ゆめは昆こん虫ちゅう学者でした。とにかく虫が好きで、小学生のころは野山を駆かけ回まわって虫採とりばかりしていました。特に珍めずらしい虫が多いわけでもありませんでしたが、生まれ育った岡山県の瀬せ戸と町ちょうは、自然豊ゆたかな場所です。父親はヨットマンで、「山に連れて行って」とお願いしても、めったに連れて行ってくれませんでした。その悔くやしい気持ちが、逆ぎゃくに虫採とりに凝こる原動力になったのかもしれません。
中学生になると虫採とりはこっそり行うようになり、高校生のころにはチョウの幼よう虫ちゅうなどを捕つかまえて飼し育いくしたり、昆こん虫ちゅうに関する専せん門もん書しょなどを読んだりするようになっていました。大学進学も、どこか国立大学の理学部生物学科に入れば昆こん虫ちゅうの研究ができると思っていました。勉強はあまりしていなかったものですから、大学入試のセンター試験（当時。現げん在ざいの大学入学共通テスト）ではあまりいい点数が取れず、それでも運良く合ごう格かくしたのが弘ひろ前さき大学の理学部でした。

弘ひろ前さき大学では4年生になると研究室に配はい属ぞくになり、研究テーマが与あたえられます。しかし、僕ぼくに与あたえられた研究テーマは「ネズミかイノシシかコウモリ」で、昆こん虫ちゅうの研究はできませんでした。結局ネズミを選びましたが、研究を進めるなかで「ヒミズ」というモグラの仲間に出会ったことをきっかけに、大学院進学のときにヒミズを研究テーマに決めました。以い降こうはモグラの研究者として活動していくことになります。
しかし、大学院修しゅう士し課か程ていの忙いそがしさは想そう像ぞう以上で疲つかれてしまったことと、当時はインターネットなども普ふ及きゅうしておらず、どこでモグラの研究を続けられるかの情じょう報ほうもなかったことから、修しゅう士し課か程ていを卒業した後は地元の岡山に戻もどり、家業のクリーニング店を手伝いながら自分で勉強を続けていました。そんなとき、科学雑ざっ誌し『Natureネイチャー』に掲けい載さいされていた論ろん文ぶんに衝しょう撃げきを受けました。アフリカに分ぶん布ぷする「キンモグラ」という、モグラの仲間と思われていた動物が、遺い伝でん子し分ぶん析せきをすると、モグラよりゾウやジュゴンなどに近い仲間だとわかったというのです。「生き物の世界はまだまだわからないことだらけで、面おも白しろい！」と思いました。他に北海道大学で行われた染せん色しょく体たい学会に参加したこと、広島県庄しょう原ばら市しでの「モグラサミット」の開かい催さいを新聞記事で知って参加し、自分とは違ちがう視し点てんからのモグラの研究に数多く触ふれて刺し激げきを受けたこと、という、この「３つの事じ件けん」がきっかけとなり、再ふたたびモグラ研究の世界で生きていくことを決めました。
そこから御ご縁えんがつながっていき、名な古ご屋や大学農学部の織お田だ先生のもとでモグラの研究を続けることになりました。その後、ロシア科学アカデミーへ留りゅう学がくし、博物館は強力な標本収しゅう蔵ぞう施し設せつであり、博物館に所しょ蔵ぞうされている膨ぼう大だいな数の標本が、研究をサポートしてくれるということを学びました。帰国後は5年くらい標本作りに没ぼっ頭とうした後、たまたま国立科学博物館で研究員の募ぼ集しゅうが出ることを知りました。その公こう募ぼに応おう募ぼし、2005年から国立科学博物館で働いています。

みなさんにお伝えしたいのは、何か熱中できるものを見つけるなど、そういう心を育んでほしいということです。僕ぼくにも子どもがいますが、最近エレキギターに夢む中ちゅうなようです。どんな人でも、熱中してしっかりそれに時間を割さけば、研究者にだってなれるし、プロのギタリストにでもなれます。僕ぼくはそう思っています。
もし「研究者になりたい」という人がいるなら、僕ぼくは研究者になるための資し質しつは体力と「貧びん乏ぼうに耐たえられるか」だと思っています。研究というのは長い時間がかかり、結果が出ないことや、努力が花開かないこともあります。そういうことを想定したうえで、それでも負けずに続けられるということが、あなたの「本当にやりたいこと」なんだと思います。ぜひ、そういったものを見つけてください。