私わたしは、東京都杉すぎ並なみ区くのアトリエ兼けん自じ宅たくをベースに、絵画を修しゅう復ふくする仕事をしています。美び術じゅつ品ひんの修しゅう復ふくは、油絵、日本画、彫ちょう刻こくなど、ジャンルごとに専せん門もん性せいが高く、私わたしは油絵が専せん門もんです。
東京藝げい術じゅつ大学大学院で学んだのち、個こ人じんで修しゅう復ふくの仕事を始めました。2017年にアトリエを新しん築ちくしたのと同時に、「株かぶ式しき会社 土は師ぜ絵画工こう房ぼう」を設せつ立りつしました。この工こう房ぼうで修しゅう復ふくの仕事をしているのは、基き本ほん的てきに私わたし1人です。
欧おう米べいなど海外では、ほとんどの美び術じゅつ館かんに保ほ存ぞん・修しゅう復ふく部門があります。日本では、最近ようやく保ほ存ぞん・修しゅう復ふくの担たん当とう者しゃを採さい用ようする美び術じゅつ館かんが増ふえてきましたが、それでも全国で15館ほどです。実じっ際さいに修しゅう復ふくの仕事を行うのは、私わたしのような民間業者や個こ人じんのフリーランスが多いです。

現げん在ざい、私わたしへの仕事の依い頼らいは、公立や私し立りつの美び術じゅつ館かんからが5割わりほど、美び術じゅつ品ひんの展てん示じ・販はん売ばいをするギャラリーからが4割わりほど。あとの1割わりは個こ人じんからで、収しゅう集しゅう家かのほか、アーティストから自身の作品の補ほ修しゅうなどを頼たのまれることもあります。
電話やメールで依い頼らいが入ったら、可か能のうな場合はその作品を見に行きます。遠くて行けない場合には、写真を送ってもらいます。次に修しゅう復ふくの内ない容ようを相談しますが、依い頼らい者しゃの要望を聞いて、必要最さい低てい限げんの処しょ置ちを勧すすめ、「あれもこれも」と提てい案あんしすぎないよう心がけています。医い師しが必要のない手しゅ術じゅつを勧すすめないのと同じです。
修しゅう復ふくの内ない容ようが決まったら、作業日にっ程ていや料金を話し合い、正式な受注となります。1点にかかる作業日数は、ふつう数日から10日ほどです。作業は、道具や材料がそろっている自分のアトリエでなるべく行いたいですが、美び術じゅつ館かんの収しゅう蔵ぞう品ひんは外に出すのが難むずかしいことも多く、週に何日かは美び術じゅつ館かんで仕事をしています。
作品を前にして、最初に行うのは写真撮さつ影えいです。修しゅう復ふく前の記録は、とても重要です。大学でも、そのための撮さつ影えい技ぎ術じゅつを教えるほどです。細部まで記録できるよう高精細のカメラを使い、ライティングにも気を配って、作品の裏うら側がわや、額がくを外した状じょう態たいなども詳しょう細さいに撮さつ影えいしておきます。修しゅう復ふく中に、もとの状じょう態たいを写真で確かく認にんすることもありますし、破やぶれや絵の具のはがれなどの記録は、依い頼らい者しゃとのトラブルを避さけるためにも必ひっ須すです。写真撮さつ影えいは、修しゅう復ふくの途と中ちゅうでもこまめに行います。作業の完かん了りょう後、何をどのように修しゅう復ふくしたか詳しょう細さいな報ほう告こく書しょを作成しますが、その資し料りょうとしても必要だからです。

修しゅう復ふくの作業はまず作品の状じょう態たい調ちょう査さから行います。ライトで照らしながらよく観察した後、「溶よう剤ざいテスト」といって、水やシンナー、エタノールなどの溶よう剤ざいを含ふくませた綿めん棒ぼうで、作品の端はしの目立たない部分をこすってみます。汚よごれがどの溶よう剤ざいで落ちるのか、どの溶よう剤ざいなら絵の具が傷いたまないかなどを調べるテストです。油絵と聞いていた作品が、水で絵の具が溶とけ、「水すい彩さい画がだ！」とわかって、驚おどろいたこともあります。
テストで修しゅう復ふくの方ほう針しんが決まったら、いよいよ処しょ置ちに入ります。修しゅう復ふくは大きく分けると、「保ほ存ぞん」のための処しょ置ちと、「見た目を整える」処しょ置ちの、2段だん階かいがあります。保ほ存ぞんのための処しょ置ちとは、たとえば、はがれそうな絵の具の接せっ着ちゃく、ほこりの除じょ去きょ、絵が描えがかれている布ぬの地じ（画が布ふ、キャンバス）の破やぶれ補ほ修しゅうやたるみの改かい善ぜん、木き枠わくの調整などです。その作品が長く良い状じょう態たいで保ほ存ぞんされ、鑑かん賞しょうできるようにするための処しょ置ちですね。
修しゅう復ふくの仕事は、細かい作業を地道にコツコツやることが多いです。たとえば、油絵具のはがれ止めの処しょ置ちには、「にかわ」という動物の皮由来の接せっ着ちゃく剤ざいをよく用います。にかわを小筆にとって、ひび割われた絵の具の下に差し入れ、接せっ着ちゃく剤ざいがつかないシートを置いて上から熱を当てると、にかわが乾かわいて絵の具がくっつきます。にかわは、水に溶とけるので、はみ出した余よ分ぶんは簡かん単たんに拭ふき取とれます。

あとで溶とかせる接せっ着ちゃく剤ざいや絵の具を使うなどして「処しょ置ち前の状じょう態たいに戻もどせる」ように作業をすることは、現げん代だいの美び術じゅつ品ひん修しゅう復ふくの基き本ほん的てきな考え方です。はるか昔には、絵の一部を想そう像ぞうで描かき足したり、色を塗ぬり直したり、オリジナルとはかけはなれた作品になってしまう修しゅう復ふくが行われた時代もありました。しかし20世せい紀きに入ると、年月による自然な劣れっ化かは作品の持ち味として受け入れ、必要以上の修しゅう復ふくをせず、しかも「作業前の状じょう態たいに戻もどせる」処しょ置ちをして、後世に手て渡わたすことが基き本ほんの考え方となりました。写真や文書で作業過か程ていを詳くわしく記録して残すのも、このためです。
「見た目を整える」処しょ置ちも、この考え方にしたがって行います。「見た目」の処しょ置ちは、ギャラリーからの依い頼らいでは一いっ般ぱん的てきです。絵を売るために、見た目は大切ですから。具体的な処しょ置ちとしては、絵の具がなくなってしまった部分に色づけする「補ほ彩さい」や、絵の表面の汚よごれを落とすクリーニングなどがあります。油絵の補ほ彩さいに油絵具は使わず、後から落とせる専せん用ようの絵の具を用い、クリーニングも作品を傷きずつけないよう、細心の注意を払はらって行います。

私わたしは、劇げき的てきに見た目が変わる修しゅう復ふくを行った経けい験けんが何度かあります。そのうちの一つは東京国立近代美び術じゅつ館かんから依い頼らいされた、岸きし田だ劉りゅう生せいの作品でした。岸きし田だ劉りゅう生せいは、大たい正しょう時代を中心に活かつ躍やくした画家で、娘むすめをモデルにした「麗れい子こ像ぞう」シリーズは有名です。修しゅう復ふくを依い頼らいされたのは、《田た村むら直臣なおみ七十歳さい記き念ねん之の像ぞう》という人物画でした。
この作品では、表面に塗ぬられたワニスが変色していました。ワニスとは樹じゅ脂しを溶よう剤ざいで溶とかして塗ぬられた膜まくで、作品を保ほ護ごし光こう沢たくを調整する効こう果かがありますが、年月がたつと茶色っぽく変色してしまうことがあります。依い頼らいされた作品を紫し外がい線せんライトなどで調ちょう査さした結果、制せい作さくのかなり後に第三者がワニスを塗ぬったことがわかりました。そこで美び術じゅつ館かんと相談し、作者の意図ではないことなどから、変色したワニスを取とり除のぞくことにしました。
ワニスは有機溶よう剤ざいを含ふくませた綿わたでやさしくこすると、絵の具を溶とかさずうまく取れることがあります。変色したワニスの下からは、制せい作さく当時の状じょう態たいに近い色しき彩さいがあらわれ、細部もはっきり見えるようになりました。

私わたしは《田た村むら直臣なおみ七十歳さい記き念ねん之の像ぞう》のほかに5点、岸きし田だ劉りゅう生せいの作品の修しゅう復ふくを東京国立近代美び術じゅつ館かんから依い頼らいされて行っています。これらすべての作品の修しゅう復ふくを通じて、100年も前の画家の表ひょう現げんと現げん在ざいの鑑かん賞しょう者しゃをスムーズにつなげることができたのではないかと思っています。この仕事のやりがいは、そこにあります。ただし修しゅう復ふくは、目立ってはいけない仕事です。修しゅう復ふくなど何もされていないように作品が美び術じゅつ館かんに展てん示じされ、見る人の心にスムーズに届とどくことが目的です。
《田た村むら直臣なおみ七十歳さい記き念ねん之の像ぞう》は、特にワニスのせいで色合いが暗く、私わたしも「劉りゅう生せいらしくない作品だな」と思ったほどです。美び術じゅつ館かんでもあまり展てん示じされてこなかったようですが、ワニスを取とり除のぞいたら、鮮あざやかな色と繊せん細さいな表ひょう現げんがあらわれ「さすが劉りゅう生せいだ！」と、息をのみました。今後この作品の展てん示じ機会が増ふえるのではないかと期待しています。

修しゅう復ふくの仕事の難むずかしさは、「正せい解かいがない」ことです。
たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》は、長い年月の間にくすみ、昔の修しゅう復ふくの傷きず跡あとも見えますが、あの古びた色しき彩さいのイメージが世界中に広く定着しています。それもあって、ルーヴル美び術じゅつ館かんはクリーニングせず、あのままにしているのだと思います。逆ぎゃくに、劉りゅう生せいの《田た村むら直臣なおみ七十歳さい記き念ねん之の像ぞう》はこれまでさほど注目されてこなかった作品だったので、ワニスの除じょ去きょによるイメージの変化を決けつ断だんしやすかったともいえます。
修しゅう復ふくの判はん断だんは、その時代の社会背はい景けいや考え方に左右されます。技ぎ術じゅつや材料も進歩します。将しょう来らい、技ぎ術じゅつが進み修しゅう復ふくの常じょう識しきも大きく変われば、現げん在ざい行われている処しょ置ちは「ひどいやり方だった」と言われる時代が来るかもしれません。「正せい解かい」がないのです。だからこそ、将しょう来らいやり直しができる材料を使い、記録を残すなど、今の時代にできる最さい善ぜんをつくすのが、私わたしたち修しゅう復ふく家かの使命です。
今、世界は、「予よ防ぼう保ほ存ぞん」という考え方に向かっています。人間も健康診しん断だんで生活を見直し病気を予よ防ぼうしますが、美び術じゅつ品ひんも同じです。「劣れっ化かしたら修しゅう復ふくすればいいや」ではなく、作品が傷いたまないよう保ほ存ぞんの環かん境きょうを整えることが最さい優ゆう先せんされています。私わたしも、修しゅう復ふくの依い頼らい者しゃに作品の保ほ存ぞん方法をアドバイスすることがよくあります。
絵の具も布ぬの地じも、歳さい月げつとともに酸さん化かするなどして劣れっ化かします。これは自然なことです。80歳さいの人にシワがまったくないのが不自然なように、絵画も、描えがかれたばかりのように生々しく修しゅう復ふくしてしまったら不自然になります。作品が自然で健康的に年を重ねられるよう、手助けするのが修しゅう復ふく家かの役やく割わりでもあります。

私わたしは中学時代、仲よし5人組の友だちがいて、少し背せ伸のびした映えい画がや文学に触ふれていました。あるとき「将しょう来らい、何になる？」という話になり、私わたしはなぜか「画家になる」と答えました。絵はちょっと得とく意いな程てい度どでしたが、宣せん言げんしたら本気になってしまって。高校時代に美び術じゅつ系けい大学を目指す予よ備び校こうに通って、武蔵むさし野の美び術じゅつ大学の油絵学科に合ごう格かくしました。
卒業後はアルバイトをしながら絵を描かいていましたが、やがて「自分は画家より別の道のほうがいいのでは」と思えてきました。であればこれからの人生をどうしようかと考えていたある日、たまたまテレビで修しゅう復ふく家かの特集を見て、絵が好きでコツコツ作業をするところが自分に向いていると思い、「これだ！」と直感しました。ネットで調べたら、東京藝げい術じゅつ大学の大学院に専せん門もんの研究室があることがわかり、受験したら運よく入学できました。30歳さいのときです。
ただ、大学院を卒業しても修しゅう復ふく家かへの道はなかなか険けわしかったです。当時、保ほ存ぞん・修しゅう復ふくの担たん当とう者しゃがいる美び術じゅつ館かんはまだ5、6館で、民間の修しゅう復ふく工こう房ぼうのスタッフも数人程てい度ど。じつは、美び術じゅつ館かんに就しゅう職しょくするでもなく、工こう房ぼうに所しょ属ぞくすることもなく修しゅう復ふく家かとして一本立ちした私わたしの経けい歴れきは、かなりめずらしいんです。ある日、知り合いのギャラリーの店主から、岡おか本もと太た郎ろうの小さな作品の修しゅう復ふくを「やってみる？」と任まかされました。勉強だと思って修しゅう復ふくしたら、とても喜よろこんでもらえました。ギャラリーはわざわざ修しゅう復ふく工こう房ぼうに頼たのむほどでもないと思ったのか、わずかな絵の具のはがれでした。気軽に安く頼たのめ、一定の技ぎ術じゅつもある私わたしは、便利だったんでしょうね。このギャラリーから別のギャラリーを紹しょう介かいされて次し第だいに顧こ客きゃくが増ふえ、何とか生活していけるようになりました。

修しゅう復ふく家かとして仕事を始めて間もない2011年に、大きな転機が訪おとずれました。神奈川県立近代美び術じゅつ館かんが募ぼ集しゅうした保ほ存ぞん・修しゅう復ふくのインターンとして、2年間、研けん修しゅうできることになったのです。ここで指し導どう研究員の方に実じっ践せん的てきな技ぎ術じゅつをたくさん教えていただき、その一つ一つが目から鱗うろこの大きな学びでした。また修しゅう復ふく家かとしても背せ中なかを押おしてもらえた気がして、次し第だいに仕事に自信をつけることができました。
2011年といえば、東日本大だい震しん災さいが起きた年です。「全国美び術じゅつ館かん会議」という美び術じゅつ館かんのネットワークがあるのですが、そこが中心となって岩手県の陸りく前ぜん高たか田た市立博物館の津つ波なみをかぶった収しゅう蔵ぞう品ひんを盛もり岡おかの建物に移うつし、泥どろやカビを落とす応おう急きゅう処しょ置ちをみんなでやろう、ということになりました。修しゅう復ふくの指し揮きをとったのがインターンの指し導どう研究員の方で、私わたしもお手伝いをしたいと手を挙げました。震しん災さい後は絵画の売買がぴたっと止まり、私わたしの仕事も開店休業の状じょう態たい。時間だけはあったのです。そこで1か月ほど盛もり岡おかに常じょう駐ちゅうして作業に加わり、日ひ替がわりで全国からボランティアに集まる美び術じゅつ館かんの学芸員や修しゅう復ふく家かの連れん絡らく係がかりを務つとめました。
この経けい験けんが、思いがけない財ざい産さんとなりました。それまで修しゅう復ふく家かどうしの交流はあまり活発ではありませんでした。それがボランティアの作業中に技ぎ術じゅつを教え合うなど、情じょう報ほう交こう換かんが活発に行われました。しかも毎まい晩ばん、大交流会です。私わたしは1か月も滞たい在ざいしていたおかげで多くの知り合いができ、やがて各地の美び術じゅつ館かんから仕事を依い頼らいされるようにもなりました。
岩手県立美び術じゅつ館かんの方々とも交流の機会をいただき、そのご縁えんは今も続いていて、修しゅう復ふくの講こう座ざで講こう師しに招まねいていただいたりしています。このような開かれた場づくりは、とてもうれしいことです。美び術じゅつ品ひんは公共の財ざい産さんです。修しゅう復ふくの技ぎ術じゅつを秘ひ密みつにするのではなくオープンにして、ともに学び合うことは、とても大切だと思います。

何かの職しょく業ぎょうに就つくには、少しでも好きなこと、興きょう味みのあることを追い求めるのがいちばんだと思います。興きょう味みのないことは努力も長続きしないし、仕事の中で成長するのも難むずかしいでしょう。幅はば広ひろい情じょう報ほうに触ふれれば、興きょう味みのあることを見つけられるかもしれません。
絵画修しゅう復ふく家かになるにも、絵画に興きょう味みがあることは、ひとつの才さい能のうだと思います。絵を描かくのがヘタでもあまり関係ありません。自分の経けい験けんからいうと、美び術じゅつのことだけではなく化学の勉強もしておいたほうがいいですね。作品の調ちょう査さや理り解かいに必要ですし、修しゅう復ふくでは溶よう剤ざいなどの化学薬品を使います。私わたしは化学の基き礎そを学んでおかなかったので、大学院に入った当初は苦労しました。
最近は美び術じゅつ館かんで保ほ存ぞん・修しゅう復ふく担たん当とうの採さい用ようが増ふえるなど、絵画修しゅう復ふく家かになる道も広がってきています。興きょう味みがあれば、チャレンジしてみてはいかがでしょう。