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- 岡山県に関連のある仕事人
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1980年 生まれ
出身地 海外
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仕事内容
岡山のぶどうを世界に届ける。
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自己紹介
トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
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出身高校
TİCARET LİSESİ(トルコ)
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出身大学・専門学校
- 【このページに書いてある内容は取材日(2017年11月20日)時点のものです】
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ソイル・ アリ -
仕事内容
岡山のぶどうを世界に届ける。
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自己紹介
トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
トルコのペンションから岡山のぶどう農家へ
メルハバ!私は岡山県勝央町で「アリババファーム」という農園を経営し,ぶどうを作る仕事をしています。出身地はトルコ共和国です。「メルハバ」はトルコ語で,こんにちは,という意味の言葉です。もともとトルコのペンションで働いていたのですが,日本人の妻と結婚したことがきっかけで,日本にやってきました。
大阪生まれの妻と二人で岡山に移住したのが,およそ15年前。それから二人三脚でぶどうの育て方を覚え,現在は約10種類のぶどうを栽培しています。なかでも自慢は,岡山県知事賞を受賞した「オーロラブラック」。岡山県から100以上の生産者が集まる品評会で,大きさや形,色,甘さなどの審査を受け,選ばれました。岡山で育ったぶどうは本当においしい。世界に誇れるぶどうだと思っています。また,ぶどう農家として働きながら,勝央町に移住して農業をはじめようとしている人たちのアドバイザーとして,一緒に畑を探したり,農家としての生活のしかたを教えたりもしています。 -
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ソイル・ アリ -
仕事内容
岡山のぶどうを世界に届ける。
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自己紹介
トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
一年かけてぶどうを育てる
ぶどうの旬は夏から秋にかけてですが,栽培には丸一年かかります。毎年,10月に収穫が終わると,すぐに翌年に向けた土地づくりに取りかかります。年が明けると同時に,せん定作業と呼ばれるぶどうの木の枝を切り落とす作業をはじめ,2月ごろからビニールハウスの準備を行います。芽が出るのは早い品種で4月初旬。品種によって少しずつ時期がずれるので,さまざまな作業を並行して行います。5月から6月は特に忙しく,朝5時に日が登るのと同時に仕事をはじめ,日が暮れて辺りが見えなくなる夜8時ごろまで作業を続けます。大変だと思うこともありますが,この時期に手を抜かないことがおいしいぶどう作りの秘訣です。「まあいいか」と休んでしまうと,収穫の時期にぶどうが病気になってしまうこともあります。
ハウス栽培のぶどうは7月から出荷をはじめますが,収穫のピークは9月から10月にかけてです。ぶどうは朝採れるものがいちばんおいしいので,朝5時半に作業をはじめ,朝8時には収穫を終えます。その後は箱詰めや出荷作業をしますが,遅い日は夜10時ごろまで作業に当たります。こうして,1年間手塩にかけて育てたぶどうが,消費者の元へと届けられるのです。 -
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岡山のぶどうを世界に届ける。
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自己紹介
トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
おいしさと信頼を全国へ
私のぶどうは口コミで広まりました。知り合いや近所の人に配るところから始め,徐々に人から人へと伝わっていったのです。ありがたいことに,今では北海道から沖縄まで,全国にリピーターがいます。北海道のお客さまが,「アリさんに会いたいから」と言って,はるばる農場まで訪ねてきてくれたこともありました。何度も買いに来てくれるお客さまの信頼に応えるためにも,毎年必ず,前年を超える品質のぶどうを作ろうと心がけています。日照りが少なかったり,雨が多かったりすると,おいしいぶどうを育てるのが難しいこともありますが,日々研究を重ね,よりおいしいぶどうを作る方法を追い求めています。
収穫したあとの作業も大切です。鮮度が高いうちにお客さまに届けるために,朝採ったものは当日中に出荷し,翌日には届くようにしています。また,なるべくきれいな状態で届くよう,細心の注意を払って箱詰めをします。それでも,届くまでに形が崩れてしまうことがありますが,そのようなときはすぐに新しいものを送るようにしています。苦労もありますが,お客さまから「おいしかった,ありがとう」という言葉を聞くと,一気に疲れが飛んで行ってしまうんです。 -
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トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
地域のコミュニティづくり
農業を営むうえで,地域の人とのつながりや助け合いはとても大切です。近所に住む人たちは親戚と同じようなもので,困っている人がいたら助けに行きますし,情報交換も積極的に行っています。今年はこの地域に特有の「広戸風」と呼ばれる強風が吹いて,私の農園も被害を受けました。ぶどうを這わせるための支柱が,広い範囲に渡って倒れてしまったのです。修復に1,2週間はかかると思っていたのですが,翌日には地域の人が30人ほど集まってきてくれて,1日半で作業を終わらせることができました。
ありがたいことに,地域の人たちはトルコから来た私を日本人と同じように扱ってくれます。私も人とコミュニケーションを取るのが好きなので,どんなところにもでかけるようにしています。地域の人たちとのサッカーやバレーボール,家族ぐるみのバーベキューなど,様々なイベントを通してたくさんの仲間と交流しています。私の作業場は地域の若者たちのたまり場になっており,一緒にご飯を食べることもよくあります。 -
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トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
夜11時まで遊んだ子ども時代
私はトルコのカッパドキアという地域で生まれ育ちました。周辺は「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」として世界遺産に登録されており,毎年たくさんの観光客が訪れます。めずらしい形の岩が林立した独特な地形で,そこに穴を掘って作った地下都市が広がっており,日本とまったく違う風景を見ることができる場所です。実家はぶどう農家で,小さいころは親の手伝いをすることもありましたが,農家にはなりたくないと思っていました。それよりも,旅行客と英語でコミュニケーションを取ることが楽しく,旅行関係の仕事がしたいと思っていたのです。
子どものころは毎日が楽しく,自然のなかでたくさん遊んだことを覚えています。夜11時ごろまで遊んでいることもしょっちゅうでした。地域の人たちどうしのつながりが強く,近所のおばちゃんが勝手に家に入って掃除をしていることもありました。当時の友達とは今でも仲が良く,帰省したときには必ず会いに行きます。1か月の休みをとって帰省しても,ほとんど毎日友達と会っているので,あまり休めないですね。 -
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岡山のぶどうを世界に届ける。
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自己紹介
トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
日本での生活の苦労
私は高校で会計や経営学を学んだ後,大学の学位を取りながら,カッパドキアのペンションで働きはじめました。そんなある日,日本から一人の女性が観光に来て,私が働くペンションに宿泊したのです。これが運命の出会いとなりました。意気投合した私たちはトルコで交際をはじめ,結婚を機に日本に引っ越してきました。しかし,まったく言葉が分からない上に,食事も習慣も慣れないものばかり。はじめのうちは苦労の連続でした。地域の人たちは親切にしてくれたのですが,言葉が分からないため恩返しもできず,つらい思いをしたこともあります。また,トルコでは米をほとんど食べないので,米が中心の生活に慣れるのも大変でした。
ぶどうは植えてから実がなるまで5年ほどかかるので,自分たちの農園のぶどうを育てている間は,近くのぶどう農園を借りてぶどうの育て方を覚えました。ひととおり分かるようになるまで,10年かかりましたね。その間に日本語も話せるようになり,日本の食事にも慣れていきました。今では,米の味の違いが分かるようになり,いろいろとこだわりも出てきています。 -
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ソイル・ アリ -
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岡山のぶどうを世界に届ける。
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トルコから日本に移住し,妻と二人でぶどうを育てています。人とコミュニケーションを取るのが好きで,地域の行事などがあればどこへでも出かけて行きます。
食べ物を作れる国は強い
私は,これからの時代を生きる子どもたちに,農業に興味を持ってもらいたいと願っています。10年前,岡山県には8万人の農家がいましたが,今では4万人に減ってしまいました。農業は自然が相手なので,暑さや寒さに耐えて働くこともありますし,作業中にけがをすることもあります。良いものを作るには,見えないところで常に努力を続けなければなりません。でも,自然の中で働くというのは気持ちの良いものです。作業の合間に少し草の上に座ってお茶を飲んだり,横になって空を見たりしてゆっくりすることもあります。また,自分が手をかけて育てているものが成長してくるというのは,言葉にできない喜びがあります。何もなかったところから芽が出て,成長して,できた実を一粒食べるとき,また,それを他の人に食べてもらうとき,この仕事をしていてよかったと思うのです。
日本では農業にたずさわる人が減り,食料自給率は下がり続けています。でも,食べ物は人間が生きる基本です。私は,自分たちが食べるものを自分たちで作れる国が,強い国なのだと思っています。みなさんもぜひ,農業について調べてみてくださいね。将来,勝央町で農業を始めたくなったら,私がサポートしますよ。 -