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東京都に関連のある仕事人
1959年 生まれ 出身地 東京都
澤木さわき 正志ただし
子供の頃の夢: スポーツ選手
クラブ活動(中学校): テニス部 バスケットボール部
仕事内容
身につける人が楽しくなるビジネスファッションを生み出し、はんばいする。
自己紹介
人とちがうものが好きなせいかくです。学生時代からファッションが好きで、いつもアンテナをってウインドーショッピングをしています。これまでいろいろなスポーツをやってきましたが、今は50代から始めたゴルフに熱中しています。
出身高校
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2022年12月13日)時点のものです

「ビジネスファッションを遊ぶ」をコンセプトに、ネクタイやワイシャツを作ってはんばい

「ビジネスファッションを遊ぶ」をコンセプトに、ネクタイやワイシャツを作って販売

わたしは、東京都ちゅうおうにある「かぶしきがいしゃリード」の社長をつとめています。当社は1958年にわたしの父がネクタイおろしうりせんもんとして始めた会社で、1983年にしん用品せんもんてん「ドクターベリー」を開いて以来、しん用のネクタイやワイシャツを作ってはんばいしています。よこはまありあけはね空港、2020年に始めたオンラインショップの4てんで、17名のじゅうぎょういんが働いています。
当社では、自社でデザインした商品のみをはんばいしています。できるだけ多くのデザインの服や小物をお客さまに楽しんでもらいたくて、一つのデザインにつきネクタイは6~8本ずつ、ワイシャツだと約30着分しか作りません。いっぱんのアパレルブランドは季節ごとに新しいデザインの服を発表しますが、当社は一年を通して新作をデザインし続けており、毎週、店頭には新しいデザインのせいひんならびます。少量ずつしか作らないので、すぐに売り切れることも多いです。商品が売り切れるというのはいっぱんてきにはタブーとされてきましたが、たくさんの種類のデザインを少量ずつ作って売り切るというスタイルが、だんだんとお客さまにしんとうし、かいしていただいています。
「ドクターベリー」のコンセプトは、「ビジネスファッションを遊ぶ」です。同じデザインを大量に作ることがないので、大量の売れ残りが出る心配がなく、いろいろなぼうけんができます。お客さまの好みに合わせて特別にめずらしいデザインのネクタイを作ったり、他社とのコラボレーションにちょうせんしたりすることができます。生産コストをおさえるために商品サンプルも作らないので、作られた商品がちょくせつ、各てんに送られます。はんばいいんも商品の箱を開けるまで何が入っているのか知らないので、毎回、開けて見るのを楽しみにしてくれています。

社長もじゅうぎょういんもフラットな関係でいられるように

社長も従業員もフラットな関係でいられるように

わたしの仕事は会社けいえいのほか、「ドクターベリー」ではんばいするネクタイやワイシャツなどのかくデザイン、その原材料となるぬのや糸などを作る国内外のメーカーとの商談や買い付け、新てんを出すための計画、てんでのせっきゃくはんばいまでと、はばひろいものです。週5日間のうち2日は商品のデザインを行っており、土日のいずれかは店頭に立つので、平日に休みを取ることが多いです。
てんではじゅうぎょういんと同じようにシフトに入って、一人で店を開けて、そうして、つりせんを用意して……ということを行っています。じゅうぎょういんとはなるべくフラットな関係でいられるように、じゅうぎょういんにはわたしのことを「社長」ではなく「マネージャー」とんでもらっています。店内でいきなり「社長」とばれたら、お客さまもびっくりしますからね。
また、を仕入れるために海外とのやり取りもあります。毎年、イタリアで行われる「ピッティ・ウオモ」というメンズファッションのてんかいにおもむき、一年後のファッションのけいこうを勉強します。そして、それに合わせてげんのメーカーと商談をして、どのネクタイを仕入れるか決めます。イタリアから仕入れるにはどくとくの発色やざい感があり、多くの世界的ブランドでも使用されています。当社ではそうしたにゅうして、国内でほうせいすることでコストをおさえ、かくおさえてはんばいしています。

アパレルメーカーきんて、一からてんけいえいをスタート

アパレルメーカー勤務を経て、一から店舗経営をスタート

わたしがファッションにきょうを持つようになったのは大学生のころです。もともと、父が実家の下の階に会社をかまえていたので、おさないころから学校の行き帰りに会社の中を通るしゅうかんがあり、親からふくそうについてきびしく言われていました。ジーンズもきんされていたんですよ。そういうかんきょうの中で育ったので、自然とファッションには気をつかうようになり、大学に入ると周りの友人から「おしゃれだね」と言われるようになりました。そして、おだてられるうちに、ファッションにさらにきょうを持つようになりました。
大学卒業後にはアパレルメーカーにしゅうしょくしました。当時、メーカーの社員がはんばいさきの百貨店にけんされて自社のせいひんはんばいすることがよくあり、わたしも一年弱、百貨店の衣料品売り場ではんばいいんとして働きました。けんされた西せいいけぶくろ本店はとてもいきおいがあり、やる気に満ちた人たちにあふれたしょくでのけいけんを通して、せっきゃくや小売のノウハウを学びました。自分がすすめた商品をお客さまがよろこんでくれて、また店に足を運んでいただく、ということを通して、この仕事の楽しさをけいけんしました。
そんな中、ある日、けんもとのメーカーと百貨店のはしわたし役をするしょくいんめてしまい、わたしが商談をまかされることになりました。なるべく多くの自社せいひんを売り場に置いてほしいメーカーと、売れそうなものだけ置きたい百貨店、両社の間に立ってこうしょうするのは大変でしたが、いろいろなことが勉強になりました。
その後、当社にしゅうしょくして24さいくらいのころ、父から最初のちょくえいてんまかされました。父のころは小売のけいけんがなかったので、百貨店で学んだせっきゃくや小売のノウハウをそのまま生かして、わたしが一からてんけいえいを始めたのです。

「いろいろな種類のデザインを少しずつ作る」の原点

「いろいろな種類のデザインを少しずつ作る」の原点

最初に開いたしん宿じゅくむらビル店では、自社生産のネクタイと、他社が作ったワイシャツとをはんばいしました。多くの会社員が働くオフィスビルにあったので、仕事の合間によくこうにゅうしてもらいましたが、同じビルで働く人が同じ店で買えば、着るものが重なることも当然、ありました。そこでワイシャツにしゅうを入れたり、うらを変えて組み合わせたりするなど、いろいろなデザインの商品を少しずつ作るというスタイルを思いつきました。やり始めた当時は、ったビジネスファッションはまだめずらしく、お客さまからは「着たいけど会社には着ていけない」という声も多かったのですが、当時からざいしつにこだわっていたので、ごこのよさに感動したお客さまにリピートしてこうにゅうしていただくようになりました。
また、当時は定期的にわりびきセールを行っていましたが、決まった時期になるとはんがくになるため、そのうち、お客さまの多くがセールを待ってていで買わなくなるという問題がありました。ていの期間は売上がびないので、だんだんとセール期間をばすようになりました。しかしそれはおかしいと考えるようになり、つねに他店よりも安いかくていきょうし続けて、その分、セールをいっさい行わないというほうしんてんかんしたのです。そうやってこうさくしながら、当社どくの今のスタイルになってきました。

「知る人ぞ知る店」ならではのよろこ

「知る人ぞ知る店」ならではの喜び

当社でオリジナルデザインのシャツを作り始めたころは、いろいろな洋服店を回っては、自分がいいと思った商品のタグに書いてある会社の名前を調べて電話するなどして、メーカーを見つけ出していきました。その中で出会った人がものづくりにとても熱心な方で、いろいろと意見こうかんしながらオリジナルのデザインを作り上げました。この出会いがきっかけで、ほかのメーカーとのつながりもでき、今も京都にあるメーカーといっしょにネクタイを作っています。「このぬのとあのぬのとを組み合わせたらおもしろいだろう」など、やり取りしながら作るのは楽しいです。
そうしてでき上がったものを買ってくれたお客さまの声を聞けたときは本当にうれしいものです。以前、たまたまゴルフのきょうかいで出会った方に、どこでネクタイを買っているのか聞いたら「知らないと思うけど、よこはまにあるドクターベリーで」と言われたこともありました。少ないてんすうゆえに知る人ぞ知る店なので、そういう出会いがあるとうれしいですよね。またコロナえいきょうでお客さまの来店がったことをきっかけに、2020年からインターネットつうはんを始めましたが、始めて半年たないうちに、全都道府県のお客さまから注文が入りました。大手のつうはんサイトではなく自社のサイトでしかはんばいしていないので、みなさんどこで「ドクターベリー」のことを知ったのだろうと不思議に思いましたが、やはり注文が入るとうれしいものです。

これからも一人一人のお客さまの声を大切にしたい

これからも一人一人のお客さまの声を大切にしたい

わたしが今も店頭に立っているのは、商品の完成デザインをかくにんするためというのもありますが、お客さまの声を聞くためというのが大きな理由です。もちろん店長やじゅうぎょういんからお客さまの声を聞くこともありますが、やはり自分の耳でちょくせつ聞いたものほどたしかなものはありません。お客さまとせっする中で一人一人の好みも分かってきますし、商品作りのヒントをもらうことが多いのです。また、売れ残りを作らないということがぜんていにあるので、ぜったいに売れるものを作るためには、げんの感覚が欠かせません。
少量で商品を作ることでざいかかえず、はいを出さないこと。わたしたちがずっとやってきたこの方法は、SDGsがさけばれるげんだいにこそ求められているスタイルだと思います。これからもこのやり方を続けていくためには、今のがちょうどよく、むやみにてんすうやすことは考えていません。人間は野心を持つと、どうしてもかくだいこうになりがちですが、それをおさえることが当社のコンセプトを守るうえで大事だと考えています。今、アパレル業界はコロナえいきょうきびしいじょうきょうが続いていますが、このやり方を続けていけば、たとえネクタイやワイシャツをあつかう店がげんしょうしても、びることができると思います。

スポーツでつちかった自信は、仕事にも生かされる

スポーツで培った自信は、仕事にも生かされる

わたしは子どものころ、病気がちでようえんも小学校も休むことが多く、小学5年生のときにすすめで近所のたいそう教室に通い始めました。それまで運動がとても苦手で、いつも学校の同級生にはかないませんでしたが、その教室ではばこもトランポリンも自分が一番になるというけいけんをしました。そうすると自信がついて他のスポーツにもちょうせんするようになります。中学ではテニス部できびしい体力づくりにはげみ、その後、バスケットボール部に入りましたが、きょうごうこうだったので大会に出させてもらえませんでした。ところが高校のバスケットボール部では1年生でレギュラー選手にばってきされて、そこでも自信がつきました。そうしたスポーツを通して自信をつけたけいけんは自分にとってすごく大きな意味を持っていて、仕事をするうえでもかくじつに生きていると思います。
今まで本当にいろいろなスポーツをやってきましたが、やはりいっしょに楽しむ仲間がいれば続けたくなりますし、新しい仲間がどんどんえていくのが楽しいものです。今、スタッフみんなが仲のいいしょくをつくることができているのも、そのけいけんのおかげかもしれません。

周りへのづかいから新しい気づきをてほしい

周りへの気遣いから新しい気づきを得てほしい

わたしの母はけんていを気にする人で、身なりについてもそうですが、おさないころから人の目を気にするように言われてきました。いっぱんてきに、けんていを気にすることは悪いこととしてとらえられることが多いです。しかし人の目を気にするというのは、うらを返せば周りの人にづかいができるということ。もちろん度をすのはよくないですが、わたしは日本人特有のそのしつはすごく大事だと思います。周りに目を配ることから、新しい気づきをることもあります。
それから、今、進路についてまよっている方にお伝えしたいのは、いろいろなことにちょうせんしてみること。一つのことに集中するのもいいことですが、いろいろなことをやるうちに自分に合ったものが見えてきます。できるかぎりこうしんを持って、いろいろなことにチャレンジしてみてください。

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取材・原稿作成:掛谷 泉(Playce)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫