全国7000校110万人が利用するキャリア教育・職業調べサイト

名人の仕事

  • 森の名人
  • 紙漉き

オランダから来た日本文化伝承人

  • アウテンボーガルト・ロギール
    (高知県高岡郡檮原町)

    生年月日 昭和30年5月5日
    出身地 オランダ ハーグ市
    現在地 高知県檮原町
    職業 紙漉き
    略歴 25歳の時に和紙の魅力に取りつかれ、高知県に住み着く。現在地、檮原町の風土、文化を生かし、周囲の環境に負担をかけない、和紙づくりに取り組んでいる。地元の小学校を始めさまざまな、学校、施設での、出前教室や体験教室を開備してグリーンツーリズムにも取り組んでいる。紙漉文化の啓発活動、間接的な後継者育成につながっている。
  • 野口 あゆみ(高知県立幡多農業高等学校一年)

第4回(2005年)参加作品

和紙との出会い、日本との出会い

私の名前はアウテンボーガルト・ロギ―ルといいます。出身地はオランダで誕生日は昭和30年5月5日、今年で50歳になります。

和紙に出会ったのは25歳の時です。和紙に出会った瞬間にビビッときたね。日本の和紙は手漉きで作られているから、光にかざし紙をみると中に繊維とか色々なものが見える。私がそれまで知っていた普通の紙ではそんなものが見えなかったからね。初めて和紙をみた時、紙の中にあるものはなんなんだろうと思ってビックリしてね。それから、この紙の事を聞いてみると日本の和紙だということが分かったんだよ。

当時は日本の事すら全然知らなかった。和紙がきっかけで、日本の事を少し調べてみようと思ったら、ちょうどその頃日本の映画フェスティバルとかラジオに能狂言などの音楽などが流れていて、これは不思議なところだなと思い始め日本にも興味を持つようになった。そこから更に紙の事を調べていると世界中に色々な紙があるけど、各国の重要文化財などを直す為にも使われ、一番質が高く、面白く興味が持てたのは日本の和紙だったんだよ。

和紙に興味があった事もあるけど旅をするのが好きだから、まぁちょっと遠い誰も行った事のない日本にいってみようと思ったのがきっかけで現在に至っています。

和紙の都、私の都

  • 家周辺の風景

    家周辺の風景

日本に来た当初は和紙で有名な、高知県の伊野町に住んでいたんだけど、そこでは和紙の原料の栽培がうまく出来なかったり、水があんまりきれいでなかったりした。原料は栽培の仕方を工夫するとなんとかなるが、水だけはなんともならない。私が必要とする水を求めて北は長野県から南は九州まで探し歩いたね。良い水があるのなら、実家のあるオランダでもいいとか思ったりしたけどね。

今の場所を見つけたのは知り合いがいたのがきっかけだね。ここに来たら、日本の伝統芸能神楽が有名で、四万十川の源流ということもあって、とてもこの場所に興味を持ったんです。色々話しを聞くとこの辺の山、現在は植林になってしまっているが、以前は和紙の原料が多くの山で栽培されており、町の収入の大部分が和紙の原料を販売して得た収入だったようです。

この場所は、水はきれい、和紙の原料栽培にも適しており、さらに、以前から和紙の原料栽培のことについて、詳しいおじいちゃん、おばあちゃんたちが、沢山居る。もう、この土地に住み着いて14年になるよ。

紙の歴史

今は普通みんなが使ってる紙は機械漉きでビニールとかの化学繊維が入ったり、ガラスファイバーが入ったり何で出来ているか解らない。手漉き和紙でも猫がつめたてて登れるくらいの障子紙が作れる。それは全部作り方のおかげ。一つでも手を抜いたらすぐ裂けるような紙になる。

紙の発明は紀元前の中国だといわれている。紀元前に中国で作られて仏教とともに韓国に伝わったといわれている。西暦500年くらいに、日本に仏教とともにやってきたといわれている。その後、聖徳太子が将来的に紙が必要になると思ったらしく、コウゾとアサの栽培を始めた。聖徳太子が周りの人に指示をして。

初めのころはアサが紙の原料に使われた。中国もそれが原料だった。それが日本にきたら、コウゾとかガンピで色々日本に合った漉き方になったみたい。今の漉き方とも違う。簡単な漉き方だったみたい。それが、日を追うごとに変化し日本の植物にあった漉き方が出来てきた。それが今の紙につながってきた。ほんとに今の漉き方がいつから始まったかはちょっとよく解らない。江戸時代くらいから今の道具とほとんど変わらない物を使っている。江戸時代以前にも源氏物語を初め、貴族が歌集を楽しむために、現在と似た紙漉きはおこなわれているが、サイズはかなり小さく、小さい物を何枚もつなげて巻物のようにしていた。

洋紙は、17世紀~18世紀にヨーロッパで発明された。洋紙は短時間で木を材料(パルプ)に大量に作れるから、急速に世界中に広まっていった。洋紙が安価な値段で大量に出回るから、和紙がダメになってしまった。パルプの時代が始まった。

和紙を作る

  • 和紙の原料を漂白している様子

    和紙の原料を漂白している様子

和紙を作る工程は、原料を蒸す・水に浸す・漂白・仕上げに分けられる。まず原料の木を蒸す、そうして樹皮を剥がす。木を蒸すと樹皮を剥ぎやすくなるんだよ。この樹皮を剥ぐ作業は全て手でおこないます。木は外が茶色くて中が白いからその茶色い表皮の部分を包丁でへぐる。それをやってから石灰などで煮る。そして川の中などで水にさらす。

原料を漂白するためには、一般に漂白剤を使うが、太陽の力を利用して、自然に白くするのが一番良い。樹皮を漂白した後は、木づちで叩いて繊維をバラバラにする。叩き終えたら漉き槽の中で水とよく攪拌しネリ(トロロアオイ)を加えて1枚1枚丁寧に漉いたものをプレスして板に付けて干す。うちは板に干すけど大体のところはステンレスの鉄板に蒸気をいれて熱くして乾かす。でも鉄板に乗せると急激に乾燥していますからね。やっぱり、ゆっくり干したほうがきれいに出来て良い。でもこういうふうに、木の板に干す作業は雨の日には出来ない。毎朝天気を見て晴れなら出来るけど、午後から雨が降りそうだったりしたら、今日はその作業はやめて他の作業をしなくてはいけなくなる。とても手間がかかるが、こういう作業を繰り返すことにより、いい和紙ができる。

和紙の原料

  • 和紙の原料ミツマタの木

    和紙の原料ミツマタの木

和紙を作る中で一番の原料というのは言えない。私は和紙の原料として、コウゾ・ミツマタ・クワ・ガンピを使っている。なぜ、一番の原料がないかというと紙の使う用途によって良いか悪いかがあるから。障子・ふすま・傘などは生活に使うものだから、そのための紙は強いものじゃないといけない。だからコウゾという木を原料として使用する。コウゾの木は自然にも生えているが、それを昔から栽培して紙の原料としている。

もう一つの原料はミツマタ。これは黄色い花を付ける木で3つに枝分かれするからミツマタという。その他も用途に合わせて最適と思う物を使い分け使用します。通常の紙は、木で作るんだけど、和紙の場合は木の皮、つまり樹皮を原料として使うんです。

こだわり

和紙作りは些細なことにも左右される。たとえば四万十市で作る和紙とここ梼原町で作る和紙でも同じ原料で作っても気候などの違いにより少し違った和紙が出来る。私はこの梼原で作る和紙が一番良いとは思うけど、だからといって他の所の水とか原料が悪いって訳じゃない。

佐賀町をはじめ全国各地に、最高の原料と呼ばれるものがあるけど、私の場合、檮原で和紙を作っているのだから、この土地の原料、水、気候、文化すべてを使用してここにしかない和紙を作っていきたい。大げさかもしれないが、私のこの仕事は、大地に恵を得てこそおこなえる仕事だと思う。水も木も太陽も気候もすべて自然にゆだねて作りたいと思っている。

和紙と水そして環境

  • 作業場周辺を流れる川

    作業場周辺を流れる川

水となぜ和紙が関係しているかというと、さまざまな、作業工程中に水を使うがとくに和紙の原料を水でさらして漂白する作業の際はきれいな水が必要になる。3日間ほど原料を川の中におかないといけないから、川が汚れていると、その汚れが原料に付きうまく漂白できない。その汚れを、取る作業が余分に必要になってしまう。

現在私が最も心配していることはこの水です。私が住んでいる場所より上流は全く人家がなく、生活排水などによる水の汚れはほとんど心配ありません。しかし、この周辺の川の水も土砂崩れなどにより土が直接川に流れ込み濁っていることがある。たいして悪いことではないと思うけど、たとえば岩の上に泥が付着すると岩に生えていたコケは死んでしまう。またそのコケを食べていた、アユも生きられなくなるしアユの恩恵を受けて居た者も影響を受けてしまう。こういう事が、沢山影響しあって川の中の栄養バランスが崩れ、その他いろいろな事にも影響を与えてるのではないかと心配している。

四万十川の下流なんかだと、普段はとてもきれいな川が、大雨になると濁った川になる。この辺でも最近はそういう現象が始まっている。山をほったらかしにしていたら、山は崩壊してしまう。山が崩壊すると、泥が川の中に入ってしまうということで、川がダメになってしまうということである。けど、この町はそういうことにとても敏感で、植林、間伐など山を守る対策も現在進めている。また道路を作る際などもさまざまな事を考慮し作業をする。どんな時でも川底がみえるぐらいきれいな水でないといけない。

森が食べられる

日本は100年前で8万軒が紙産業に関わっていた。それ全部が手漉き和紙だった。山はその頃ほとんど壊れてなかったし川もそんなに汚れてなかった。終わりの頃は川もだんだん汚れてきたけどね。それが機械漉きで製造を始めた時、仁淀川などは紙産業の影響で汚染されはじめた。強い薬を使ったりしてたから。

それ以前も結構色んなところで紙を使ってたけど、紙も循環されていてそんなに大量の紙は必要なかった。機械漉きになってから消費が増えて大変になってきた。木を切りすぎるっていうのはパルプの為の木材伐採。

25年前高知に来た当初(パルプのために皆伐されて)丸裸だった山も、現在は鬱蒼とした森になっている。日本は世界の中でも木が育ちやすい気候なのに一番木を輸入している。とても、もったいないと思う。山が険しいとか、人件費が高いとかいろいろ理由はあると思うけど。木は、切っても植えたらまた育つ。なんとか、ならないかな。今後は私たちも上手く木材を使用していかないといけない。

山の達人

木の性質とかを自分で理解するためには自分で作った方が愛着もわくし理解もできるから良い。自分で育てて収穫する。例えば収穫のときにどんな束ねかたをするとか、何でくくるとか、どんな刃物を使うかとか全部伝統なんですよね、山の。近所の人達に教わる事が多い。ここに住んでいる時は梼原の人達。伊野にいたときは伊野の人達。それぞれの人がそれぞれの達人。近所の人がそれぞれの昔からのやり方を知ってて、それでこんな風にかずらを使ってしばるんだよとか、干すときはこうやって干すんだよっていう。それが、奥深い知恵がそこにいっぱいある。

束になって切りそろえてあってあとは紙にすれば良いものを買ってくるのと、それをもし自分で畑で育てて、育て方にも知恵がいろいろあると思うんだけど、それを学びながら自分ながらに取り入れて、それが自分の紙になる。いつも同じようなものはできない。私も日々生活しているから色々なことがあるけど、それでも基本はそこに残っているし、それはすべて無意識に紙にでるはず。紙から、伝わってくるものがある。ものづくりは全部出る、だから逆におもしろい。

和紙の魅力、職人の魅力

  • 障子、ハガキ、コースター等のロギールさん作品
  • 障子、ハガキ、コースター等のロギールさん作品

    障子、ハガキ、コースター等のロギールさん作品

日本に来て一番驚いたのは障子です。オランダには、ガラスなどの洋風の物しかなく、だから紙と木で出来た壁(障子)を見たときには感動した。障子は、光を通す、きれいだと思ったし、とても素晴らしいと思った。他の国でも、紙の使用方法はいろいろあるが、日本はとても有効に紙を使っている。障子はそのいい例だと思う。ただ紙を見るだけではなく、光にすかした作業場周辺を流れる川りするほうが感動を覚える。なんか、全体に想像が広がる気がする。

紙漉きをやり始めてつらいと思ったことはあるけど、この仕事をいやだと思ったことはない。

紙漉き職人というのはすべてを同じように作らなくてはいけないから、原料とかすべてを同じにしないといけない。でも自分は自分の好きなものを作りたいし、色々違っている紙を作っているし作りたいから、紙漉き職人というよりは工芸家だと思ってもらいたい。

もちろん製品とかを作ったりもする。職人はとても苦労していると思う。私の場合は職人のときもあればアーティストのときもある。工芸家の中に職人があると思ってもらってもよいかもしれない。

若い人たちへの期待

自分が作った紙から近所のお百姓さんの伝統までを読み取れるかっていうと、それは無理かもしれない。けれど、何か感じてくれる人は増えてきてるなっていうお客さんの手ごたえはありますね。梼原の人とか以外にも例えば高知の人や全国の人が感じ取れるようになれば日本ももっと良くなると思う。やっぱり、それに目を向ける余裕、見えないものを感じる余裕があったらいい。今の日本人は便利さばかりを考えているからもっと昔の文化を思い出してもらえたら良い。けど、今はもう向かい始めてると思う。日本の古い文化を若い人たちがどう新しいライフスタイルに合わせてどうやってオシャレにとりこんでいくか楽しみでもあります。

伝統継承

  • 現在建設中の体験施設

    現在建設中の体験施設

将来、子供たちにはいろいろ体験をしてもらいたいね。やっぱり少しでも興味をもってあちこち体験しに行くしかないね。大変とかしんどい話いろいろあるかもしれないけど、行って遊んで。勉強、勉強じゃなくて遊んでるように夢中になって。例えば4時間を1時間に感じれるくらい夢中になって仕事をしている。その時感じたことがどんどん財産になる。だからどんどんそんな体験をしていくとよい。

ある程度知識はあったほうが良いけどやっぱり勉強ばっかりじゃ嫌だろうから楽しく体験をして興味をもってどんどん新しいことに挑戦していってほしい。新しい時代のものに頼るばかりじゃなくて昔の道具や機械にも興味を持ってそれを自分でどんどんやっていくようになってくれたら良い。機械ばかりでなくて方向を変えれるような。

居間とかでもただの蛍光灯とかじゃなくてみんなが自然に人が集まってくるような優しい光の集まるところにしてほしい。それを経験して考えに入れていってほしい、としか言えない。みんなに興味をもってもらいたい。現在体験する場所を作っているから、もし機会があればあなたもここに来て色々体験してもらいたい。何か新しいことが発見できるかもしれない。

(※体験施設はその後「かみこや」としてオープン、営業中です。……EduTownあしたね取材班補足)

名人の仕事~森・川・海の名人たち~

CONTENTS

  • 名人とは
  • 名人の仕事
  • 聞き書き高校生の感想
  • 海・川の仕事人2020
  • 森の仕事人