仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

沖縄県に関連のある仕事人
1970年 生まれ 出身地 沖縄県
しょくひんおろしうりぎょう食品卸売業
赤嶺あかみね 克俊かつとし
子供の頃の夢: ツアーコンダクター
クラブ活動(中学校): ハンドボール部
仕事内容
生産者や市場から食材を買い付け,スーパーやコンビニといった小売業者に商品を売る仕事。
自己紹介
せいかくは明るくスポーツが大好きです。料理をすることも好きで休日はほとんどわたしが食事を作ります。カラオケはモノマネするのがとくで,お祭りやイベントなどでふんげるのをミッションとして司会をやりました。おきなわが大好きです。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2017年06月09日)時点のものです

おろしうりぎょうという仕事を知っていますか?

卸売業という仕事を知っていますか?

わたしは「たいしんかぶしき会社」というおろしうりがいしゃで代表とりしまりやく社長をしています。おろしうりがいしゃとは問屋ともいわれ,せいぞうぎょう者(メーカー)から商品を仕入れたり,生産者や市場から野菜や魚などの食材を買い付けたりして,スーパーやコンビニといった小売業者に商品をおろす仕事です。おろすとは“売る”と同じ意味ですが,商品を売る相手が“会社”や“店”の場合に使われる言葉です。おろしうりぎょうとは作る人から売る人へ,売る人から買う人へ商品の“はしわたし”となる「流通」をになう仕事です。
わたしたちの会社では,主にれいとう食品や肉・魚などのせいせん食品を,みなさんが買い物をするスーパー,ホテル,レストラン,それとみなさんが毎日食べている学校給食を作る給食センターや,かんじゃさんの食事を作る病院などへとどけています。じゅうぎょういんは約90名で,かくそうえいぎょう,商品管理・加工部の3つのしょがあります。加工部はレストランやスーパーからの注文を受けて,調理をするときに使いやすいようにカットしたり,重さを量ってパックにめたりするしょです。えいぎょうでは商品をとどけることはもちろんですが,新しく発売された商品を案内することも大切な仕事です。あります。加工部はレストランやスーパーからの注文を受けて,調理をするときに使いやすいようにカットしたり,重さを量ってパックにめたりするしょです。えいぎょうでは商品をとどけることはもちろんですが,新しく発売された商品を案内することも大切な仕事です。

未来に対する希望と生まれたいきかんしゃをこめて

未来に対する希望と生まれた地域に感謝をこめて

たいしんかぶしき会社」は,せつりつして50年がたち,今年で51年目となる会社です。そうぎょう当時から「おきなわけん民のゆたかな食生活にこうけんするれいとう食品のきょうきゅうを」をスローガンに,今日まで仕事をしてきました。会社が生まれた1966年のおきなわけんは,第二次世界大戦での敗戦という結果によってアメリカにとうされ,ちょうど20年というさいげつぎていました。当時,アメリカの文化や食べ物が人々の生活に流通し始めていて,とりにくや牛肉などのれいとう食品が数多くにゅうされていた時代でした。初代社長であるわたしおきなわしょうらいやそこで生活する人たちのために何かできないかと考え,いろいろな人たちと話し合いをしていました。その時に,「これからはれいとう食品の産業が大きくはってんするのではないか」とひらめき,げんざいの会社の前身となる「ごう会社たいしんれいとう」を作ることになりました。社名の由来は,初代社長は今ではがっぺいされたきゅうしょうろくおおみねといういきの出身で,生まれ育った場所やいきのみなさまへのかんしゃと未来に対する希望をめて,おおみねいきの「大」と,大きく「びる」とで“たいしん”という会社の名前になりました。 

週に一度の家族会議

週に一度の家族会議

わたしは子どものころから,とにかく運動することが大好きな子どもでした。父親が商売人,母親が体育の先生ということもあり,小さいときからしつけについてはきびしかったです。しつけと言っても,おはしの持ち方とかではなく,には週に1回行われる家族会議というどくとくな決まり事があり,毎回ひとつ,家族に関わるテーマについて全員で話し合いをするんです。例えば,わたしが学校で悪いことをすれば家族全員からおこられ,良いことをすれば家族全員からめられるといった時間,それがの家族会議です。今,かえれば父も母も仕事でいそがしいこともあり家族全員がコミュニケーションのための時間で,人前でしっかりと意見を伝えるためのトレーニングの場だったと思います。いたずらが両親にバレたときの家族会議ほど,こわいものはありませんでしたね。
わたしが初めて“仕事”をけいけんしたのが新聞配達のアルバイトでした。「アルバイトをしたい」と告げたとき,母親から「やるからには1年間は続けなさい。新聞は,雨がろうが風がこうが,待っている人たちがいる。ちゅうはんな気持ちでやってはめいわくがかかる」と言われました。そのときはこうしんが強く「だいじょう!」とたんを切って始めたのですが,半年もたたないうちにやめたくなりました。家族会議の中ではげまされたりしかられたりと,はっぱをかけられながら,一度引き受けたことは,かんたんにやめてはいけないことを教わったものです。

しょうらいゆめきょうへの思いとのはざ間で

将来の夢と故郷への思いとのはざ間で

わたしは小さいころから,日本全国や外国を旅しながらたくさんの人たちと出会い,いろいろな話ができたら,どんなにてきだろうと考えていました。そんなわたしゆめは,世界中へ行けるツアーコンダクターでした。大学を卒業したら旅行会社につとめようと思っていました。ですが,おきなわはなれ東京の大学で楽しく学生生活をごしてると,地元の良さにも気づきはじめたのです。おきなわの文化,自然,食べ物,そのどれもが世界中にまんできるものばかりです。大学生活も終わりに近づき,わたしにはいろいろなせんたくがあったのですが,しょうらいは自分が生まれたおきなわに帰ろうか,いつかは親の仕事を手伝おうかとじょじょに父親の仕事をしきするようになりました。とはいえ,わたしは父の会社のこともふくめ,「おろしうりぎょう」という仕事のことを何も知りませんでした。ですので,「自分なりにおろしうりぎょうについてしっかり勉強しよう。」と考え,けいけんを積んでからおきなわに帰ろうと決めてしゅうしょく活動を始めました。そのときにもうひとつ決めたことがあります。それは関西で働くということ。実はわたしかん西さいべんが大好きで,関西のお笑い芸人も好きで,とにかく関西のノリがとても自分に合っている!と感じていたからなんです。その結果,業界でも大手の会社にしゅうしょくが決まりました。

仲良しになることが仕事のごく

仲良しになることが仕事の極意

あこがれの場所で,希望した仕事にいたわたしはとにかくがんりましたよ。入社して,農産売場を約2年,そうざい売場を約1年,それぞれのたんとうまかされたのですが,なんとそうざい売場では前年度の約2倍の売上を出しました。それから,お客さんに新しくお店の会員カードを作ってもらうけんすうも新人の中で全国1位となりひょうしょうされました。
そのごくは,お客さまと仲良くなることです。自分から積極的に会話をすることを心がけました。そうすると,お客さまがどんな商品を求めているのか,おしゃべりの中で教えてくれたんです。例えば,「いろいろな種類のそうざいが食べたい」というお客さまの声があり,そうざいコーナーで,自分がしい分だけ選べるようにバラ売りを始めました。他にも「おいしそうで食べてみたいけれど,一人らしなので量が多すぎる」という声があり,小分けにして売りました。一方で週末は量を多くしたファミリーパックを作るなど,お客さまの要望に合わせた売り方やお店のレイアウトを変えていくことで,売上があがっていきましたよ。そのとき,仕事には人と仲良くなるためのコミュニケーションが大切だと学びました。その中から相手の立場に立って考え,お客さまに選んでもらえるお店になるためのアイデアが生まれてくるのだと分かりましたね。仕事の楽しさと仕事のごく“コミュニケーション”の大切さを学んだ社会人1年目でした。

きょうのために今までのけいけんを役立てたい!

故郷のために今までの経験を役立てたい!

仕事を始めて4年目,25さいのときに,父からおきなわでは人手不足で,どこの会社もこまっているということを知りました。いつかはきょうこうけんするために帰りたいと思っていましたので,社会人としてつちかったけいけんおきなわのために,そしてと父がきずいた会社のために生かしてみようと思い,おきなわに帰ることを決意したのです。そのとき,いっしょに働いていたたくさんの人たちから引き止められたのですが,とてもありがたくうれしいことでした。
おきなわもどり,父の会社にえいぎょうとして入社しました。社長のむすではありますが,新人には変わりありません。新人として,自分ができることから始めよう決め,早朝,だれよりも早く出社してそうをし,あいさつは大きな声ですることをてっていしましたよ。また,関西でもおきなわでもえいぎょうの仕事では,やはりコミュニケーションが大切です。そのとき,わたしろうふういとなむ魚屋さんをたんとうしていました。そのお店ではよく方言でおしゃべりしていたんです。おきなわわかい人たちは方言を話せる人が少なく,おとしりの話が分からないという人も多いのです。わたしおきなわの方言も上手なんですよ。いつものように楽しく話していたとき,「次の注文からは全てあなたにまかせますから,わたしたちの倉庫のざいを見て,どんな商品をなん買うのかを決めてくださいね」と言われてびっくりしました。つうでは決してありえないことです。うれしいと思う以上にせきにんの重さも感じました。ですが,それくらいしんらいしていただいたということですね。

今のわたしをつくった両親からの教え

今の私をつくった両親からの教え

えいぎょうしょくを6年,そしてしゅにんえいぎょう長をせんとりしまりやくしゅうにんしました。決して全てが順調だったわけではなく,これまでの人生の中でも一番苦しい時期でもありました。2000年代初頭に,食の安全をるがす大問題になったBSE(牛かい綿めんじょうのうしょうきょうぎゅうびょう)が発生し,その後日本では,りょうせいやBSE発生国からのにゅうせいなどが行われました。わたしたちの会社としても,これまで仕入れていた牛肉に問題がないのかを調べ,おろし先に対して安全をしょうめいすることが必要となってきました。そのタイミングで社内のしきかいかくが起こり,当時しゅにんだったわたしが部長へと上がって,10名ほどの部下が付くことになりました。部下を持つ,管理をするという初めての仕事にまどいも失敗もあり,自分の力のなさをつうかんする毎日でした。安全な食材を求めるお客さまのために,る間もないほどのいそがしさと自分の弱さをかくしたくて,がむしゃらになりぎて身体をこわしたこともあります。そんな姿すがたを見てもっともまどったのは部下だったと思います。そんなつらい時期をえて,わたしがここまで成長することができたのは小さいころに教えてもらった両親の言葉があったからだと思います。母親からは「仕事とはかんたんにやめてはいけない」ということ。一番にそんけいしている父親からは,「つねに相手の立場に立って,言葉や行動を選びなさい。」と教えられました。今,父親と同じ立場に立ちまして,この言葉の重みを感じています。この二人の言葉が,今でもわたしの仕事に生きていいます。
わたしの仕事は,5年後,10年後に向けてわたしたちがどんな会社になりたいかを考え,いっしょに働いてくれている社員みんなといっしょに「人間力」を育てていくことだと思います。そうすることで,社員が気持ちよく仕事をできるようになり,社員の幸せへとつながると考えています。社員の子どもたちが『お父さん,お母さんの会社に入りたい』と言ってくれたら,もう,最高ですね!

学校は「人間力」をつける場所

学校は「人間力」をつける場所

わたしたちの仕事は,商品をとどけるだけの仕事と思う人もいるかもしれません。しかし,商品には作ってくださる人,はんばいする人,買ってくださるお客さまの思いが一緒に運ばれています。その“物”と“思い”をはしわたしするために,人と人とのコミュニケーションが重要な仕事だと思っています。商品は,安ければ買ってくれるわけではありません。人とのコミュニケーションを持って,相手に伝わるようにじょうねつを持ってせっすることが大切であり,今後求められる「人間力」だと思います。
わたしはこれまでのけいけんから,大きな声であいさつすることや,しっかりと身だしなみを整えること,気持ちよくごせるためにそうをすることなど,全て学校で学んだほんてきなことがとても大切であることを知っています。ですから,会社の中でも社員にてっていしています。もちろんわたし自身もです。
みなさん,今の時期がとても大切です。毎日の生活の中で,「ほんてってい」,「かんしゃ」,「がお」をぜひしきしてみてください。良い大人になれるようにせいいっぱいがんばってくださいね。

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(広島県 中2)
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取材・原稿作成:一般社団法人グッジョブおきなわプロジェクト/協力:株式会社学友館