たこ焼き居酒屋と焼鳥屋、ハンバーガー店を経営
私は東京にある「株式会社 Upper Wood Promotion(アッパーウッドプロモーション)」という会社で社長を務めています。現在、たこ焼き居酒屋を大塚店(豊島区)、町屋店(荒川区)、梅島店(足立区)の3店舗、焼鳥屋を足立区で1店舗、ハンバーガー店を荒川区で1店舗、経営しています。全店舗合わせると、アルバイトも含めてスタッフは約35人で、そのうち社員は7、8人くらいです。このほか、分社化して別会社になりましたが、「タコヤキ引越センター」という引っ越し屋も経営しています。また、その引っ越し屋から派生して、電気工事やハウスクリーニングなど、引っ越しに関連する業種も展開しています。
私自身が店舗に立つのはたこ焼き居酒屋のみで、週に2、3日、合間に休憩を挟みながら朝10〜11時くらいから夜の23時くらいまで働いています。平日は17〜18時くらいからたこ焼きをテイクアウトするお客さまが増え、18〜19時には店内で食べるお客さまが来ます。その後、21〜22時以降はほかのお店でお酒を飲んだあと、二軒目、三軒目として来るお客さまが増えます。土日や祝日は朝からずっとお持ち帰りと店内のお客さまでいっぱいになります。町屋店、梅島店は客席は多くはありませんが、お客さまの回転がとてもよく、常に席が埋まっている状態になることが多いです。
忙しい毎日の中で家族と過ごす時間も
店舗に出ていない日は、経理や仕入れなどの業務をこなしています。仕入れは週に1回行います。バックヤードが狭くて在庫が置けない店舗が多いこと、こまごました材料の仕入れが多いことから、私が必要なものを取りまとめてスーパーなどに買い出しに行き、比較的バックヤードが大きな梅島店に一度集め、そこから各店舗に車で配送する形で行っています。
また、5店舗あるので、仕入れの領収書の量も膨大になり、経理の作業が大変です。私が仕入れを担当するようになったのは、経理をシンプルにするためという理由もあります。そのほかに、給与計算やアルバイトの面接、シフト作成など、人事的なこともやっています。各店舗には店長がいて、シフト作成などは彼らも手伝ってくれます。
焼鳥屋とハンバーガー店は自分ではお店に出ないので、スタッフと月に1回ミーティングをして、お店の状況を把握しています。丸一日休むのは月に2日くらいですが、仕入れと配送をした日は夕方16時くらいには仕事が終わり家に帰れるので、以降は子どもたちとキャッチボールをしたり宿題を見たりして、家族とコミュニケーションを取る時間にしています。
「成長を見守る」ことの大切さ
自分にとって一番大変なのは、「我慢する」ということです。アルバイトや新しい社員が入ってくると、つい「なんでそんなことがわからないの?」と思ってしまうこともありますが、それを言ってはいけないなと思っています。
この仕事を始めた当初は、アルバイトにもとても厳しくしていました。しかし厳しくすると人が辞めてしまい、そうすると人が足りなくて自分たちがつらくなる、という悪循環でした。しかしあるとき、大学生の女性がアルバイトで入ってきたことがあり、「若い女性だしな……」と厳しく叱るのをためらったことがありました。やる気もあまりなさそうだし、仕事中に携帯もいじるし、どうしよう、と思っていたのですが、その人が数年、働くうちに、どんどん仕事ができるようになり、私が何も言わなくてもいろいろなことを自分からやってくれるようになりました。
そこで学んだのは、「成長を見守る」ということの重要さです。何か言いたいことがあっても、ぐっと耐えてその人が成長していくことを見守る。難しいなと思うときもありますが、大切なことだと実感しています。
お客さまの「たこパ」を手伝う仕事
この仕事をしていて一番うれしいのは、やはり「おいしい」とか「ありがとう」というふうに、お客さまからのフィードバックがもらえるときです。また、常連のお客さまの顔といつもの注文を覚えて、「いつものこれでいいですか?」と言えるとうれしくなります。いろいろな人がお店に来られますし、そういったお客さまと会話をすることで、さまざまな業種の方の話を聞くことができるのもいいところです。お店にはカウンター席もあるので、時にはお客さまが愚痴をこぼしたりすることもあります。いろいろな人生を垣間見ることができるのは、本当に面白いです。
今は店舗も増え、やらなくてはいけないことも増えましたが、実は自分にとって一番楽しくて楽なのは、たこ焼き居酒屋の店舗に立つことです。というのも、この仕事は「他人の“たこパ(たこ焼きパーティー)”をお手伝いする仕事」だと私は思っているからです。もちろん、長時間お店に立っていることのつらさはありますが、基本的には楽しいことしかない仕事です。
「おいしく食べてほしい」の気持ちが一番大事
実は、たこ焼きは奥が深く、おいしく焼くためには技術が必要ですし、焼く人によってかなり味の差が出ます。スタッフにはそういった技術的なことはもちろん教えていますが、結局は「おいしく食べてほしい」という気持ちが一番大切だと思っているので、それも伝えています。お客さまからは「上田君が焼いたたこ焼きが一番おいしい」と言っていただくことがありますが、店のスタッフの誰が焼いても、みんなが同じようにお客さまに「おいしい」と思ってもらえるようになってほしいと思います。それが私の目標です。
また、店に立つことは楽しいのですが、それと同時にいろいろな事業を成功させ、会社を大きくしていくことにもやりがい、楽しさを感じています。しかしそれはお店にいるときの楽しさとは別物で、会社の業績を上げることでスタッフの給料を上げることができるからです。やはりせっかく関わってくれたのですから、みんなでよくなっていきたいと思っています。
俳優業との両立を目指して店を開いた
高校卒業後はアメリカの大学に進学し、そこで4年間、野球をやっていました。卒業後は、あのロサンゼルス・ドジャースで半年ほど通訳兼付き人として働いていたこともあります。その後、姉がニューヨークで舞台の仕事をしていて、友達づくりのために、姉が通っていた演劇学校に行ってみたところ、とても楽しく、俳優を目指すことにしました。吉本興業が劇団をつくるという話があり、そのオーディションを受けて合格し、大阪で俳優として活動をしていました。
2007年に俳優としての活動を広げるために東京に出てきて、俳優仲間の先輩に頼まれて銀座のクラブでアルバイトを始めました。しかし、俳優の仕事がだんだんと増えてきたことでお店を突然休むことも増え、これではお店に迷惑がかかってしまうと思いました。そこで自分でお店をやろうと思い、一緒に働いていた今の会社の共同経営者である木村に声をかけ、たこ焼き屋を始めることにしました。1年ほど2人でほかのお店でアルバイトを経験し、2010年10月に最初のお店を開きました。もともと、お店は木村に任せて、私は俳優業をメインにと思っていたのですが、ほどなくして東日本大震災が発生して、お店の売り上げが急に落ちてしまい、私もお店のほうを頑張ることにしました。そこから店舗を増やし、2017年に今の会社を立ち上げました。
「キャプテン」の気質と経験は今の仕事に通じる
子どものころは、ずっと野球ばかりしていました。小学1年生のときに、近所の上級生に誘われて野球を始めました。小学校ではピッチャーやキャッチャー、中学・高校・大学ではずっと外野手でした。中学校ではシニアリーグのチームのキャプテンを務め、全国大会で準優勝したこともあります。そのため、高校進学のときは引く手あまたでしたが、当時の大阪の強豪校は練習が非常に厳しく、しごきなどもあったので避けて、和歌山の新設の高校に行きました。中学校のときにキャプテンだったのは、おそらく、おしゃべりで仕切りたがる性格だったからだと思います。みんなで話し合っていて、何かものごとが決まらないと、どうしても話をまとめたくなってしまうんです。人と話すのは苦ではなく、友達も多かったので、「チームプレーが好き」という点では今も変わっていないかもしれません。
一生懸命過ごした時間は、絶対無駄にはならない
今振り返ると、私は失敗ばかりしてきたなと思います。野球にしても、中学校の時点での能力的には、頑張ればプロ野球選手を目指すことができたかもしれないと思うのですが、高校進学のときに厳しい高校への進学を選択できなかった。そういう意味で自分を追い込めませんでした。また、役者になりたいという夢も、本当になりたいのであれば、空いた時間や休みの日に自分なりの勉強をしたり、何かほかの作品を見たりということをすればいいのに、やりませんでした。
でも、たこ焼き屋を始めたときは、お店の苦しい状況を解決しようと、何時間も何日も連続でお店に立ち続けました。実はその時間が、今の自信につながっています。しんどいことであっても、一生懸命であれば費やした時間は無駄にはならないと思いますし、その中に楽しさを見つけることもできると思います。諦めることもあっていいとは思いますが、結果的には悔いがないように人生を楽しむのが一番だと思うので、今、何かに打ち込んでいる人は、ぜひ悔いを残さないように頑張ってください。












