社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!
※このページに書いてある内容は取材日(2007年09月05日)時点のものです
皆(みな)さんは人類がどのように進化してきたかを考えたことはありますか?私(わたし)は三浦(みうら)半島の葉山にある総合(そうごう)研究大学院大学(総研(そうけん)大)というところで,総合(そうごう)人類学や進化心理学という分野の研究をしています。具体的に言うと,人類が何百万年もの長い時間をかけて進化してくる間,周りの環境(かんきょう)はどのようなものだったのか,環境(かんきょう)の変化に対処(たいしょ)するために人類はどう行動しそれを習慣(しゅうかん)づけていったのかということを探(さぐ)っています。例えばヒトの行動や物事の理解(りかい),男女の差,言葉の始まり,生活の歴史などについてヒトと類人猿(るいじんえん)を比(くら)べると,謎(なぞ)がたくさん出てきます。その謎(なぞ)は,頭で考えて一旦(いったん)仮(かり)に説明し(仮説(かせつ)),色々(いろいろ)な角度からの実験や野外調査(ちょうさ)を行い,集まったデータを解析(かいせき)し,仮説(かせつ)を証明(しょうめい)すると解(と)くことができるのです。
科学者には研究の他にもやるべきことがあります。一般(いっぱん)的に研究者が歩む人生には,1.自分の「研究」をして知識(ちしき)を蓄(たくわ)える,2.次の世代の人間を「教育」して育てる,3.研究と教育のための施設(しせつ)を「運営(うんえい)」する,という3つのステップがあって,この「1.研究→2.教育→3.運営(うんえい)」の流れを3つのマス目に例えて私(わたし)達は「研究者の人生の双六(すごろく)」と呼(よ)んでいます。今,私(わたし)は3つ目のマス目に駒(こま)を置いて,研究と教育の仕事に加えて,総研(そうけん)大をどう発展(はってん)させていくか,研究者が社会に対してどう発言をしていくかについて考え,他の研究者の方や日本の科学を政治(せいじ)の面から考えている方々(かたがた)と議論(ぎろん)することをがんばっています。
皆(みな)さんは大学院という教育の場をご存知(ぞんじ)ですか?中学校や高校では,教員が既(すで)に知っている一つの答えを,どうすれば一番簡単(かんたん)に出すことができるかを生徒が考え,先生が教えてくれます。ところが大学や大学院では,取り組んでいる研究テーマの答えも,それを導(みちび)き出(だ)す方法(アプローチ)も,最初は誰(だれ)も知りません。いい成果を出すために過去(かこ)の研究事例などを見ながらデータを取ったり,そのデータに対して自分の考えを述(の)べたりするのです。面白そうだと思いませんか?普通(ふつう)の大学院は,大学を卒業して研究者になりたい学生を「研究室」という部署(ぶしょ)に2~3年間配属(はいぞく)させて研究者に育てますが,私(わたし)の働いている総研(そうけん)大には研究室がありません。その代わりに総研(そうけん)大の学生は5年間,学生の人数の2倍近くの人数の,多種多様な研究分野を持つ教授陣(きょうじゅじん)に鍛(きた)えられて勉強することができるんですよ。
色んな方とお話をすると,私(わたし)が一日に何時間研究しているかをよく聞かれます。皆(みな)さんは,研究者が一日のうちどのくらいの時間を研究に割(さ)いていると思いますか?答えは目を覚ましている間中ずっとです。なぜそういう答えになるかというと,研究と生活を切(き)り離(はな)すことはできないからです。例えばサルの繁殖期(はんしょくき)の行動研究をしているとき,朝から晩(ばん)までものも忘(わす)れて野外でデータをとっていたり,その翌日(よくじつ)お昼を食べているときにひらめいてグラフを作ったり,遊んでいるときに研究のアイデアが出てくることもあります。生活していて研究のテーマを忘(わす)れることはありえないので,夢(ゆめ)の中身と研究テーマもどこかが関係している気がします。
研究の流れを簡単(かんたん)にまとめると,仮説(かせつ)を立てる→データを集める→データを解析(かいせき)する,となります。研究をする時に一番楽しいのは,集めたデータをきれいな表やグラフに表す「解析(かいせき)」の作業です。解析(かいせき)したデータを検証(けんしょう)して,仮説(かせつ)が正しかったという結論(けつろん)になればもちろん嬉(うれ)しいですが,検証(けんしょう)して仮説(かせつ)を証明(しょうめい)できない場合も良くあります。それでも解析(かいせき)の作業が一番面白い理由は,自分の仮説(かせつ)が正しいか正しくないかに関わらず研究の解析(かいせき)結果を世界中で自分だけしか知らないからです。その優越感(ゆうえつかん)に浸(ひた)ることが何より嬉(うれ)しいので,私(わたし)はデータ解析(かいせき)をしている時はのめりこみ過(す)ぎて食事を食べることもよく忘(わす)れてしまいます。
研究者にとって大切なことはデータや事実に正直であることです。何が大事で何が大事でないかの優先(ゆうせん)順位を決める基準(きじゅん)のことを「価値観(かちかん)」といい,価値観(かちかん)は一人ひとり違(ちが)います。研究の流れは,さきほど書いたように「仮説(かせつ)→データ収集(しゅうしゅう)→解析(かいせき)」ですが,この三つの流れや解析(かいせき)して出てきた知識(ちしき)に,価値観(かちかん)を組(く)み込(こ)んではいけません。研究者は,例え仮説(かせつ)が間違(まちが)っていても,集めたデータを「この10が5だと都合がいいから5にしてしまおう」などと自分の価値観(かちかん)にとらわれて嘘(うそ)を言ったり,適当(てきとう)な数字をつけたりしてはいけません。自分の価値観(かちかん)を加えるときは上記の三つの流れの外で行わなければならないということです。データや事実の中に研究者自身の価値観(かちかん)を組み込(くみこ)んでしまうと,世間が混乱(こんらん)したり,研究の信憑(しんぴょう)性(せい)が失われたりと,災(わざわ)いを招(まね)くので注意しています。
私(わたし)は一人っ子で,他の人間と接触(せっしょく)してわいわい遊ぶよりは,一人でパズルを解(と)いたり,自然界の生き物と触(ふ)れたりする遊びが好きでした。野に生える草花や海岸に落ちている貝殻(かいがら),昆虫(こんちゅう)の中では特にオニヤンマなんて震え上(ふるえあ)がるくらい好きだったんです。またキュリー夫人の伝記やドリトル先生の物語を読んで,彼(かれ)らに憧(あこが)れて,物心ついた頃(ころ)から自分は科学者になるんだと思っていました。子供(こども)の頃(ころ)は目に見える動植物を愛でていましたが,実際(じっさい)研究をしてからは,カビやバクテリアなどの肉眼(にくがん)では見えないような原生動物にも興味(きょうみ)が向かいました。そんな私(わたし)も,蛇(へび)が嫌(きら)いなのは昔も今も一緒(いっしょ)なので,蛇(へび)についてだけは彼(かれ)らがどう進化してきたのか知りません。
最先端(さいせんたん)の研究は答えを見つけるのが難(むずか)しいので,これから何が伸(の)びていくのか,何に目を付ければいいのかだけは教えることができません。科学者になりたい人は小さいときから世の中を良く観察しておかなければならないのだと思います。ゲーム機を電車の中まで持ち歩いて遊んでいて,自分の世界だけを常(つね)に持ち歩いている人もいますが,それは大変もったいないと思います。何が面白いテーマで,何が面白い発見に繋(つな)がるのかは,一人ひとりの価値観(かちかん)から自分で勘(かん)を働かせて考え出さなくてはならないので,出かけたら,美しい自然や環境(かんきょう)にもっと目を向けてみてください。