仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1972年 生まれ 出身地 東京都
笠原かさはら 将弘まさひろ
子供の頃の夢: 中学校教師
クラブ活動(中学校): バレーボール部
仕事内容
スタッフの料理どう,お客さまへの調理・せっきゃくを行う。
自己紹介
仕事ばかりしていて,せっかちです。
出身高校
東京都立南高等学校

※このページに書いてある内容は取材日(2018年12月03日)時点のものです

おいしい料理を通して日本の文化を伝える

おいしい料理を通して日本の文化を伝える

わたしは和食料理人です。とうきょう寿というところで,日本料理店の店主をしています。お客さまのためにおいしい日本料理を作ること,そして料理を通して日本の文化を伝えることがわたしの仕事です。
朝はとよじょうに行き,野菜や魚などの食材を仕入れます。日本には四季があり,季節ごとにおいしい食材がたくさん市場にならびます。そのため料理人としてきることがありません。
仕入れを終えてお店にもどってからは,夕方までずっと料理の下ごしらえをしています。18時にお店を開けたら,深夜0時まで,お客さまのために心をめて料理を作ります。
料理によってうつわが変わるのも和食のりょくです。とう,口をつけても熱くないりのおわん,夏だとすずしげなガラスなど,さまざまなうつわふうしたりつけをすることで,お客さまに食事をより楽しんでいただけるのです。食材選び,りつけ,うつわなど,料理の全体を通して日本の文化をお客さまに感じ取っていただけるよう心がけています。

イチローさんに「おいしい」と言ってもらえた

イチローさんに「おいしい」と言ってもらえた

わたしは自分のお店をかまえているので,すべてを自分で決められます。かくせいさくえいぎょうはんばいを一人でになう会社の社長のようなものですね。自分の目で見て「これはいいな」と思った食材を仕入れ,味付けを考え,料理して,うつわったものをお客さまにていきょうします。するとお客さまから「おいしい」という声がダイレクトに聞けます。このように,すぐにひょうが聞けるのはこの仕事の楽しいところです。
お客さまが「おいしい」と喜んでくれることは,本当にうれしいです。メジャーリーガーだったイチローさんに,わたしの料理を食べていただいたこともあります。わたしはイチローさんのファンだったので,いろいろお話もうかがえて光栄でした。イチローさんに「おいしい」と言っていただけて,自分の料理はちがっていなかったと思えました。
料理人は,世界中のどこに行っても通用する仕事です。たとえ外国語がしゃべれなくても,おいしい料理を作ればみんなが喜んでくれます。とても楽しく,やりがいのある仕事です。

お客さまに食べてもらえないことがいちばんつらい

お客さまに食べてもらえないことがいちばんつらい

大変だと感じるのは労働時間が長いこと。一日中,立ちっぱなしなので,体力勝負の仕事です。「どうしてこんなにきついことをやっているんだろう」と思うこともありますが,お客さまの喜んでくれる顔がかんできて,がんばれるのです。
いくらおいしい料理を考えてじゅんをしても,お客さまが来てくれないと始まりません。実家がいとなんでいたざかを父からいだとき,それまで来てくれていたお客さまの足が遠のいてしまったことがあります。毎日がひまで,だれにも料理を食べてもらえなかったのです。お客さまが来ないともうけも出ないので,新しい食材も買えません。そのときがいちばんつらかったですね。
けれど時間はたっぷりあったので,料理の勉強をし直そうと考えました。本を参考に,フランス料理やおなど,日本料理以外の料理をたくさん作りました。いわば,料理の自主トレーニングです。そして,自分でおいしいと思えたものは,お店のメニューに加えていきました。それがお客さまの口コミで広がり,だんだんと客足がもどってきました。このときのけいけんは大いに役立っています。つらかった時期もにはなりませんでした。

日本料理を世界中に広めたい

日本料理を世界中に広めたい

仕事で心がけているのは,自分が本当にいいと思った料理をお客さまに出すこと,それにきます。料理人は一年中,料理をしていますが,お客さまの中には,年に一度だけわたしの店で料理を食べるのを楽しみにしている人もいます。料理人にとっては毎日のことでも,お客さまにとっては特別な一日かもしれません。そのことをわすれずに,お客さまとのいちいちを大切にしています。
料理人としての目標は,もっと日本料理を世界中に広めることです。日本の中にいると気づきにくいかもしれませんが,世界には日本料理が正しく伝わっていない国々もあります。だからこそ正しい日本料理を広めていきたいのです。たとえばフランスでしゅぎょうした日本人の料理人が,日本に帰国してフランス料理を広めているように,世界中の人たちが日本料理を習い,それぞれの国で広めてくれるようになったらすてきですね。

給食でも,もっと和食を食べてほしい

給食でも,もっと和食を食べてほしい

子どもたちにもっと和食に親しんでもらうため,料理人仲間といっしょに「和食給食おうえんだん」という活動を行っています。全国で50人ほどの料理人がそれぞれのいきの小・中学校へ出向き,栄養士さんとともにこんだてを考えます。当日はわたしげんへ向かい,仲間や調ちょうさんたちと料理をします。そして子どもたちといっしょに食べて,日本料理のりょくを伝えています。「こんなにおいしいおは初めて」「これからはもっと和食を食べたい」,子どもたちからそんな声がたくさん聞けることがとてもうれしいです。
以前からわたしは,子どもたちにとって和食を食べる機会が少ないことがずっと気になっていました。好きなメニューの上位に来るのはスパゲッティやハンバーグといった洋食ばかり。朝食がパン,給食もパンと洋食で,夕食がパスタだったら,和食を一度も食べずに一日を終えてしまいます。これではよくない,週に2,3回は和食の給食を食べてほしい,という思いで,この活動を始めました。

料理人としてのこころがまえを身につけたしゅぎょう時代

料理人としての心構えを身につけた修業時代

わたしは高校を卒業後,日本料理店でしゅぎょうをしました。たいへんきびしい日々で,最初の1,2年は料理をさせてもらえず,そうさらあらいなどの下働きばかりでした。野菜の皮むきや魚のうろこ取りを習うところから始まり,ものをぬかどこにつけたり,じゅうぎょういん用のお昼ごはんを作ったりするなどして,だんだん料理人らしいことをさせてもらえるようになりました。やがて野菜を切ったり,魚を下ろしたり,を取ったりもできるようになりました。料理人はそのようにして,少しずつ料理を覚えていくのです。
しゅぎょうは9年間続きました。しゅぎょう時代に教わったじゅつのすべてが,今役立っています。それに加えて,せいせいとんそうてっていじゅんだんりをしっかりしてから次の仕事に手をつけるなど,料理人としてのこころがまえを身につけられたことがしゅぎょうの成果だと思っています。
しゅぎょうを終えた後は実家のざかぎ,その4年後に,新たに自分の店をかまえて今にいたっています。

父が料理をする姿すがたにあこがれた

父が料理をする姿にあこがれた

小学生のころは,実家の店がいそがしいとき,お客さまに料理を運ぶなどの手伝いをしていました。お正月前,おせち作りの時期になると,さといもあらったり,ひたすらたまごったりしていたものです。そうやって手伝いをしながら,板前の父がたまごきを作る姿すがたを「かっこいいな」と思いながら見ていました。
お店を手伝っているときの楽しみは料理の試食です。作りたての料理を食べさせてもらい,「お父さんのものはおいしいなあ」と味わっていたことをよく覚えています。そうした子どものころからの体験が積み重なり,いつしか自然と料理人を目指すようになったのです。

ご飯を食べるときはかんしゃの気持ちをわすれずに

ご飯を食べるときは感謝の気持ちを忘れずに

世界中のいろいろな国をおとずれましたが,自分の国の料理をこんなに食べていないのは日本だけではないでしょうか。自分の国の料理を食べないと,自分の国のよさを知ることができません。ほうな四季の食材や,水だけでくお米のおいしさなど,身近にありすぎて気がつかないのかもしれませんが,日本料理はとてもらしいものです。日本を愛する気持ちを育むためにも,もっと和食を食べてほしいと思います。
食べる前には「いただきます」,食べた後は「ごちそうさまでした」を必ず声に出してください。農家やりょうなど生産者の方々,料理を作ってくれた人へのかんしゃわすれないようにしましょう。
和食を通して「日本に生まれてよかった」とみなさんに思ってもらえたら,和食料理人の一人として,とてもうれしいです。

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