※このページに書いてある内容は取材日(2020年10月07日)時点のものです
お客さまのために,おいしいフランス料理を作る
私は東京都足立区の北千住にある株式会社suzaH(スザッシュ)という会社の代表を務めています。suzaHでは,SUZA bistro(スザ ビストロ)という名前のフレンチレストランをやっていて,ここでは国産小麦と天然酵母を使った無添加パンの販売も行っています。ホテルやレストランで料理の腕を磨いてきた私と,パン作りを担当するパン職人の二人でお店を立ち上げようと相談し,2015年にお店をオープンしました。
私は,オーナーシェフとしてメニューを考えたり,調理を担当したりしています。料理は,本格的なフランス料理です。鹿やいのししといったジビエ(狩猟で捕獲された野生の鳥獣)を使った肉料理,鮮魚のポワレや季節の魚を使ったパイ包み焼,ほかにもサラダなど野菜をたっぷり使ったメニューやチーズなども豊富です。これらの料理に合わせて,パン職人がお店で焼いたパンも一緒に楽しんでもらっています。
店頭でパンの販売もしています。一番人気は,1個250円の「紅茶のクリームパン」です。テレビや雑誌などで取り上げていただいたこともあり,今では行列ができるほどたくさんのお客さまが来てくれます。なかには,名古屋からわざわざクリームパンのために来店してくださった方もいるんですよ。
現在の従業員は,私とパン職人以外にも,調理補助を担当するスタッフと,2名のホール担当者がいます。ホール担当者は交代で勤務していて,通常は4名のスタッフでお客さまをお迎えしています。
朝から深夜まで忙しいけれど,やりがいのある仕事
私の一日は,食材の仕入れから始まります。毎朝7時に家を出発して,店からそう遠くない足立市場へ向かいます。都内だと車よりも小回りがきいて便利なので,移動は自転車です。大量の食材を持ち帰るために,かごを2つ付けて走ります。とはいえ,仕入れるのはその日に使う分のみです。食材が新鮮なうちに使い切ってしまったほうがよいと考えているからです。
主に野菜と鮮魚を仕入れます。フランス料理といっても,あまり変わった材料は使いません。基本的には誰もが食べたことのある,普通の食材がメインです。にんじんや玉ねぎ,きのこ,さつまいも,などですね。お店の各メニューには,サラダをたっぷりと添えるので,レタスやベビーリーフなども買います。魚料理も多いため,真鯛や季節の鮮魚も選びますし,ホタテやズワイガニ,コース料理用にオマール海老を買うこともあります。
8時30分ごろにお店へ戻ってからは大忙しです。ランチタイムのための準備を急いで行い,そして11時30分からのランチタイムを迎えて,15時30分まで働きます。30分くらいでまかないを食べて,しばらく休憩し,次は18時からのディナータイムです。お店が終わるのは22時なので,それから片づけをして帰ると,家に着くのは深夜になります。寝るのは日付が変わった1時くらいで,次の日は朝6時に起床します。体力的にはとてもハードですが,お客さまに「また来るよ」と声をかけてもらえると,疲れも吹き飛ぶほどにうれしくなります。
ほかにも,私にはsuzaHの代表としての役割もあり,経理などの事務作業も担当しています。お店の経営や税金については,信用金庫の営業担当の方や税理士さんに相談することもあります。また,スタッフが働きやすい職場環境を作ることも,私の大切な仕事です。
プロの料理人に大切な技術は「記憶すること」
料理人の仕事は,「記憶する仕事」とも言えます。完成した料理の味を覚える,食材のパーツの味を覚える,ということです。完成品の味を覚えるのは,お客さまにいつでも同じ味の料理を提供するためです。同じメニューなのに,お店に来ていただくたびに味が変わってしまっていては,お客さまの信頼を失ってしまいますよね。食材のパーツの味を覚えるのは,おいしい料理を考えるために,頭の中で食材の味を思い出し,それらを上手に組み合わせるためです。例えば,同じ小松菜でも,葉っぱと茎と根っこでは味が全て異なるので,パーツごとにどんな味,どんな香りがするのかを記憶しなければいけません。調味料についても,自分の料理に合うのは,イタリア産の魚醤なのか,フランス産のガルムなのか,はたまた日本のしょっつるなのか……。それぞれの味と香りを覚えておかなければ,料理を完成させることができません。つまり,プロの料理人には,切る,煮る,焼くといった一般的な技術とはまた違う,「記憶する」という基礎技術が必要だということです。「記憶する」ことは,時間をかけて訓練を積めば誰でもできることだと思います。しかし,それを何年も続けられるか,が肝心です。
私は,料理人をもう30年やっています。修業時代から考えると,数えきれないほどの食材と出会ってきました。だから,私には食材や調味料の味の記憶がたくさんあります。レシピはいつも市場に行って食材を見ながら考えているのですが,頭の中で調理して,料理を完成させることができるんです。
パン職人の星野さんからもらったバトン
SUZA bistroを始めて4年目の2019年に,お店の存続に関わるほどの大きな出来事がありました。お店を一緒に立ち上げた同志であり,看板商品であるパンを作っていたパン職人が,すい臓がんを患い,亡くなってしまったのです。彼の名前は星野さんといいます。星野さんは私より10歳以上,年上ですが,地元が同じ千葉県の館山市で,若いころは二人とも柔道が強くて県チャンピオンになったこともあり,地元では名が通っていたという共通点がありました。そのため,昔からお互いの存在を知っているという仲でした。そして,縁あって一緒にお店を切り盛りするようにもなって,二人の付き合いは,かれこれ20年以上になっていました。私の妻や子どもともとても仲がよく,言いたいことを遠慮せずに言い合える仲で,ときには殴り合い寸前になるほどの激論を交わしたこともある,そんな家族のような間柄でした。ステージ4のがんだと診断され,年は越せないだろうと医師に言われたとき,私は,自分の体が半分もっていかれたような気持ちになり,「星野さんがいないなら店を続けても仕方ない。もう,やめよう」と思ったのです。
ところが,そんな私に星野さんは,「死ぬまでパンを焼かせろ。最後まで職人でいたいんだ」と言いました。そして,亡くなる間際には「お前に教えていなかった」と,最後の力を振り絞って書いた,パンのレシピを渡してくれたのです。そんな星野さんの姿を見るうちに,私はだんだん,「このお店をたくさんの人に知ってもらい,星野さんのパンをもっと色んな人に食べてほしい」と思うようになっていきました。
星野さんがパンを作っていた部屋には,パン生地の発酵に欠かせない酵母菌がずっと生きています。星野さんが作ったパンではなくても,星野さんの菌を使ったパンなら私たちでも作れます。私はお店を続け,パンを売り,しっかりと利益を出していこうと決意して,今に至っています。
フランス料理で人々に楽しんでもらうために
フランス料理には,日本と異なる食文化から生まれた料理であるというところに魅力を感じます。例えば,日本人は魚をお刺身にして食べますよね。でも,フランスでは生魚は食べないという大きな違いがあり,食材を油につけたり,ペーストにしてパテにしたり,火を入れて調理したりという文化があります。そうしてできたのが,魚介類や野菜を煮込んだ寄せ鍋のようなブイヤベースや,うなぎの赤ワイン煮などの,フランスの家庭料理です。
そんな,日本の料理とは異なる味や調理法をもつ料理でお客さまをハッピーにできるというのは,料理人の醍醐味です。私は自分の仕事を「食を通じて,人々が楽しめることをやること」だと思っているので,お客さまはもちろんのこと,従業員やその家族,そして自分の家族へと,たくさんの笑顔の連鎖を生み出したいと考えています。
これからのために,今,さまざまなことを計画しています。例えば,キッチンカーを出店したいと思っています。そこでは,人気の紅茶のクリームパンで作ったフレンチトーストや,鹿肉のミートドリアやそぼろ丼などのメニューを出そうかと考えています。公園の一角などにお店を出し,近所の人たちが来てくれるようなお店にしていきたいですね。ほかにも,紅茶のクリームパンの全国発送をしたり,お店もランチ中心の業態に変えたりと,どんどん進化させていきたいと思っています。
それから,私にはさらなる夢があります。それは,地元の館山にある海岸での,カフェの運営です。年齢が離れているので訪れていた時期は違いますが,私と星野さんの二人ともがよく行っていた,夕日が綺麗に見られる海岸があります。その海岸で将来,カフェをやろうと,生前,星野さんとよく話していたんです。星野さんはいなくなってしまいましたが,いずれ,私一人ででもカフェをオープンさせたいと思い,夢に向かってがんばっています。
子どものころの「おいしいね」の記憶から料理人の道へ
私が小学生のとき,母と妹が九州の実家に里帰りをするということで,父が羽田空港まで見送りに行ったことがありました。私は,家で留守番をしていて,父のためにチャーハンを作って待っていました。帰ってきた父は,それを「おいしい」と言って全部食べてくれたのです。また,高校で私は柔道部に入っていましたが,その合宿のときも,食事当番で作ったみそ汁に,監督が「うまいな」と言ってくれたこともありました。そのときに,「ああ,おいしいって言われるとうれしいんだな」と,料理は楽しいものだという感覚が芽生えたことを覚えています。そして,高校3年生で進路を考えたとき,私は料理人になることを決めました。
高校を卒業し,調理の専門学校へ進みました。中華・和食・西洋のカテゴリーのなかから「なんとなく楽しそう」という理由で西洋料理を選びました。その後,レストランなどで働くうちに,フランス料理を生涯の仕事にしようと決めたのですが,そう決意するにあたって,私が29歳のときに出会った恩師である,高橋徳男シェフに大きな影響を受けました。とても勘がするどく,料理の技術が非常に高い方で,私はフランス料理についての多くを高橋シェフのもとで学びました。また,人間的な魅力にあふれた人でもありました。
一緒にいるだけでいつもワクワクさせられて,たとえ怒られたとしても「料理が楽しい」と思わせてくれる人でした。私は,高橋シェフにほれて,フランス料理を好きになったんだと思います。
「作る」ことが大好きな少年だった
子どものころは,とにかく外でよく遊びました。公園でサッカーしたり,キャッチボールをしたり,とても活発に過ごしていたと思います。小学生のときは学級委員を務め,中学生のときは応援団長のほか,生徒会の活動もしていました。そして高校生のときは,柔道に打ち込みました。
また,ものづくりがとても身近な環境で育ちました。父の仕事が土木関係だったこともあり,家にはいつも木材などの廃材が転がっていました。父は手作りすることが好きだったようで,そうした廃材を使って,家の門を作ったり,庭を舗装したり壁を作ったりと,けっこう大掛かりなものでも軽々と作っていました。幼いころからそういう父の姿を見て育ってきたので,自分で作るというのは当たり前なことだと思っていました。私自身も,木を使ってさまざまなものを作ることに夢中になり,釘を打って飛行機を作ったりもしていました。プラモデルの組み立ても大好きでしたね。こうした子ども時代の「作る」という経験が,現在の料理人という仕事につながっているのかもしれません。プライベートでも,今回のコロナ禍で時間ができたときに木材を買ってきて,自宅でテレビラックを作ったりもしました。
考え方を変えると道はどんどん開ける
私はよく「ポジティブな人」と言われます。ポジティブといっても,単に楽観的なだけではありません。楽しいことが大好きだから,どんな問題が起きても前向きにとらえて行動するようにしているのです。一番大切にしているのは「できないことを言い訳にしない。できることだけを考える」ということです。
みなさんも,学校ではさまざまな出来事があると思います。嫌なことも多いかもしれませんね。問題にぶち当たったとき,もしかしたら「しょうがない」と思ってあきらめてはいないでしょうか。「あの子が悪いからできない」「こうだから無理」と,自分に言い訳をしてはいないでしょうか。
そういうときは,「できない」と考えるのではなく,「どうしたらできるのかな」と考え方を変えてみるとよいと思います。すると,その問題はすでに問題ではなくなり,あとは解決に向けて行動するだけになります。明確な目標をもってそこに近づく努力をしたほうが,絶対によい方向へと進みます。自分もスッキリするだろうし,みんなもハッピーになれるからです。悩みごとができたらぜひ,「考え方を変える」ということを思い出してみてください。