仕事人

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千葉県に関連のある仕事人
1988年 生まれ 出身地 千葉県
清水しみず 晴木はるき
子供の頃の夢: 国語教師
クラブ活動(中学校): バスケットボール部
仕事内容
言葉を物語にして、そして作品としてとどける。
自己紹介
いろいろなことにきょうはあるが、長続きはそんなにしないタイプ。えいとNBAと散歩とねこが好き。外に出かけるのも大好き。子どものころからよるがたで、かし大好き、朝が苦手です。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2023年10月19日)時点のものです

小説の「中身」を作り、読者にとどける

小説の「中身」を作り、読者に届ける

わたしの仕事は、言葉を物語にして、そして作品としてとどけることです。みなさんがだん、本屋さんで目にしている本は、作者のほかにへんしゅうしゃや校正者、ブックデザイナー、印刷業者など、さまざまな人たちの手が加わって、みなさんの元へとどけられています。わたしは本の「中身」、特に小説の中身である物語を書く仕事をしています。小説家の仕事を始めたのは2015年からです。
小説を書くときは、まず「プロット」を作ります。プロットとは、物語のテーマやせってい、あらすじ、キャラクターなどを大まかにまとめた、物語のせっけいのようなものです。プロットができたら、しゅっぱんしゃたんとうへんしゅうしゃに見せて、おもしろいものにするために話し合いを重ねます。そうして、あるていでき上がったところで、たんとうへんしゅうしゃがプロットをもとにかくしょを作って、しゅっぱんしゃかく会議にていしゅつします。会議では、読者におもしろいと思ってもらえるか、買ってもらえるかといったことがはんだんされ、かくが通ったら、いよいよじっさいげん稿こうを書き始めます。
わたしの場合、小説のげん稿こうはだいたい2か月くらいかけて書いていきます。この最初のげん稿こうを「しょ稿こう」といいます。しょ稿こうができたら、たんとうへんしゅうしゃに見せて、直したほうがいいところをアドバイスしてもらいます。そして、そのアドバイスをもとにげん稿こうを書き直すという作業を、1か月くらいかけて3回ほどくり返します。この作業が終わると、げん稿こうは、本にするために文字の形や大きさ、配置などをデザインした「ゲラ」というものになります。げん稿こうがゲラになった後は、文章にだつがないか、ちがった意味で使っている言葉がないかなどをチェックする「校正」という作業を、へんしゅうしゃや校正者とともに2回ほどくり返します。校正が終わると、小説の中身が完成します。
本になった後は、本屋さんでサイン会を行ったり、SNSでせんでんこくをしたり、時には読者とコメントのやり取りもしたりして、小説をより多くの人にとどける努力をしています。

物語のアイディアをつねに考えている

物語のアイディアを常に考えている

しっぴつ中、わたしはだいたい午前11時ごろに起き、朝食と昼食をねた食事をとって、午後1時くらいから午後6時くらいまでの時間帯に集中してげん稿こうを書きます。げん稿こうを書く時間は1回につき1時間と決めていて、1時間ったらきゅうけいを入れてから、また書き出します。わたしはプロットを作るときには相当なやんだりまよったりするのですが、プロットがまとまれば、げん稿こうを書いているときにちゅうまることはほとんどありません。その日のしっぴつを終えた午後6時からは散歩や買い物に出かけたり、大好きなテレビドラマやえいを見たりしてごします。こうした時間に、作品づくりのヒントをたり、物語のアイディアの種を見つけたりすることが多いので、何か思いついたことがあったらスマートフォンのメモ帳にめるようにしています。るのは午前4時くらい。かしなタイプです。
物語のアイディアは、つくえの前に向かって考えているだけではおもかばないことが多いです。だから、わたしは散歩に行っているときも、大好きな本を読んだりえいを見たりしているときも、つねに物語のアイディアをさがしています。しっぴつをしていないときでも、つねに物語の種をさがしているので、休みの日もずっと仕事で、仕事の日もずっと休みのようなあいまいな時間が続いていて、仕事と休みのきょうかいせんがないことが、このしょくぎょうならではともいえます。

かくがボツになると、お金がもらえない

企画がボツになると、お金がもらえない

小説家の仕事をしていて、一番ピンチだと感じるときは、物語のアイディアがおもかばなかったり、まとまらなかったりするときです。物語を書くためには、プロットが必要です。プロットは元からあるわけではないので、一から自分で作らなければなりません。ところが、1年たってもアイディアが出てこないこともあるし、1年かけて考えたものがボツになることもあります。ボツになったかくも、ボツになるまではずっとそのかくのことを考えているので、その間、ほかの物語は書けません。当然、その間はお金がもらえません。そこが小説家の仕事の大変なところです。
かくが通って、作品を世に出すことができても、作品のひょうが低かったり、売れ行きがよくなくてぞくへんを出せなかったりしたときにはむこともあります。作品は自分自身をうつす鏡でもあるので、SNSなどでダイレクトに作品に対するよくないひょうが伝わってきたときはやっぱりつらいですね。でも、そういうときは、家族や親しい友人、何より自分をおうえんしてくれているファンの方々の言葉を思い出して、自分をふるたせています。

小説を書くだい

小説を書く醍醐味

小説を書いていると、気持ちが高ぶるしゅんかんがあります。そういうときはだいたい物語の世界にはいんでいるときです。ねこが主人公の話を書いたときは、わたしねこ好きなこともあって、かんじょうにゅうしてしまい、泣きながら書きました。そんなふうにかんじょうを乗せて書けたときは、いい文章になることが多く、自分自身に対しての満足感を感じます。
また、小説家の仕事をしていて一番やりがいを感じるのは、読者から作品を読んだ感想がファンレターやSNSなどでとどいたときです。わたしの作品はじんせいろんや生き方をテーマにしたものが多いのですが、「この本を読んですくわれました」といった前向きな言葉をもらえたときなどは、物語を書いてよかったと心の底から思います。こうしたときに、物語を通じて、人と人との温かいつながりを感じられることが、小説家という仕事の幸せなところだと思います。これからも自分をおうえんしてくれる方々の声を大切にして、よりよい作品をとどけたいと思っています。

人と人とのつながりを物語にする

人と人とのつながりを物語にする

物語を書くときは、「人と人とのかんけいせい」を大切にしています。12年前の2011年に、わたしは白血病になりました。重い病気になって自分が死んでしまうかもしれないということを考えたときに、自分のそんざいが何もなかったことになるのだけはいやだなと思いました。だけど、自分の健康じょうたいが失われても、いやなことがあっても、家族や友人との関係が変わらずにあり続けていたことに本当にすくわれました。だから、こつずいしょくて、元気にらせている今は、にちじょうで自分が出会った人たちとのつながりを大事にして、今までも、そして、これから先もずっと物語を書いていこうと思っています。
作品にも、わたしの身の回りにいる人たちとの会話や出来事が生かされています。例えば、『さよならの向う側』という作品に登場する小学生の男の子の「だいじょう」という口ぐせは、わたしが子どものころに、だいじょうなときもだいじょうでないときも「だいじょう」と言って、親をこまらせていたことをもとにして書いています。
取材で出会った人たちをモデルにして書くこともあります。例えば、学校をたいにした物語を書くときは、じっさいに学校に行って子どもたちと会話したことや、かれらがかかえているなやみなどを物語にんでいます。こうしたじっさいにあったにちじょうの出来事を書くことによって、読者に身近な物語だと思ってもらえるようにふうをしています。

きゃくほんづくりから始まった小説家への道

脚本づくりから始まった小説家への道

物語を書いて人によろこんでもらえるけいけんを初めてしたのは、高校3年生の文化祭でげききゃくほんたんとうしたときでした。当時『おくさまじょ』という海外ドラマのリメイクばんがはやっていたのですが、そのせっていだけを借りて、登場人物をサッカー選手のロナウジーニョに変えたり、時事ネタを入れたりして、パロディーげきを作りました。それがすごく受けて、物語を書きたいと思う原点になりました。
高校卒業後は、大学に通いながら、「シナリオ・センター」というきゃくほんせんもん学校で勉強して、えいきゃくほんを目指しました。きゃくほんの仕事を少しずつするようになっていたときに、しゅっぱんしゃから小説を書いてみないかというお話があり、小説にちょうせんすることになりました。
小説を書いてみようと思ったのは、自分一人で作品を作り上げてみたいという思いがあったからです。それまで書いていたえいきゃくほんはセリフが中心で、はいゆうえんさつえい、音楽などが合わさって一つのえいぞうにならないと完結しません。それに対して、小説は風景のびょうしゃから登場人物の行動までをすべて、言葉のみでひょうげんしないといけません。でも、だからこそやりがいを感じ、小説家になろうと決めました。

本やえいに強くえいきょうを受けた子ども時代

本や映画に強く影響を受けた子ども時代

子どものころは、本やえいなどのエンターテインメントからえいきょうを受けることが多かったです。小学生のときに、ジャマイカのボブスレーせんしゅだんを題材にしたコメディえい『クール・ランニング』(1993)を見たときは、えいを見終わってすぐに、ジャマイカの国旗を買ってきて、自分の部屋にかざりました。中学生になってからは、じん・有名人の名言やまんのキャラクターのセリフなどを集めて自分で名言集を作ったり、部屋のかべったりしていました。高校生からは、むらかみはるさんやさかこうろうさんの小説を読むようになり、作品に出てくるビートルズの音楽をくようになりました。
こうした作品を通して好きになったものを自分の生活に取り入れたり、自分なりに形にしたりしてきたけいけんは、今の仕事にもつながっていると思います。だから、自分が小説を書くときは、小説の中に自分が好きな本やえいのことをしきてきに入れるようにしています。自分がそうだったように、自分が書いた小説を読んでくれる方が、そこに出てくるほかの作品にもれてみようと思ってくれたらうれしいです。

たくさんのものにれて、やりたいことを見つけてほしい

たくさんのものに触れて、やりたいことを見つけてほしい

わたしは子どものころから何をやっても長続きしませんでした。部活動もちゅうでやめてしまったし、しゅで始めたギターもすぐにやめてしまいました。それでも、大学生になって、きゃくほんを書き始めたときに、人生で初めて、熱中して取り組めるものに出会うことができたと思いました。きゃくほんを書くことで、お金がもらえるわけでも、ほめてもらえるわけでもないのに、大学でじゅぎょうを受けて、アルバイトをして、くたくたになっていても、夜ねむる前に、2、3時間もきゃくほんを書き続けられたのは、今思うと不思議です。
だから、もしようびんぼうだったり、何事も長続きしなかったりすることになやんでいる人がいたら、そういう人こそ、特別好きなものに出会ったときに、本当にやりたいことを見つけられるチャンスがあるということを伝えたいです。自分が特別好きなものというのは、大人になったときに、それがそのまま自分の仕事であったり、生きていくうえで大切なものになったりします。そのために、なるべくたくさんのものにれて、自分が特別好きなものと出会ってほしいし、それを大切にしてほしいなと思います。

小説『17さいのビオトープ』を通じて伝えたかったこと

小説『17歳のビオトープ』を通じて伝えたかったこと

2023年11月に発売される『17さいのビオトープ』という作品では、「こいと愛のちがい」や「生きる意味」といったてつがくてきな問いを通じて、自身のなやみや問題と向き合う17さいの高校生たちの姿すがたえがきました。また、この物語でかれらが自分の生き方について考えるための手助けをするそんざいとして「人生先生」というこういんさんをえがきましたが、それは、人生先生の考えや言葉にれたときに、読者の方々に自分の生き方について考えてみるきっかけにしてほしいと思ったからです。
わたしがこうした物語を書いたはいけいには、未来に対して不安を持っているわかい人たちの助けになりたいという気持ちがありました。わかい人の中には、学校というコミュニティでうまくいっていなかったり、れんあいや進路などのなやみをかかえていたりして、生きづらさを感じている人がいるかもしれません。でも、この先必ず、自分にとって大切な人やしょが見つかるときが来ます。そして、それらを見つけるために、考えることをやめずに、自分なりの答えを出すことを大切にしてほしいと思っています。この作品が、未来や希望を信じる助けになれたらうれしいです。

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清水晴木
2022年にドラマ化もされた自著です。「死後、1日だけ現世に戻って会いたい人に会える。ただし、会えるのは自分のことを知らない人だけ」という条件のもとでの、さまざまな人の最後の再会を描いた物語です。 この作品は、私が初めて命と向き合って、書いた物語です。この作品に自分の中にあるすべてのテーマを詰め込みました。大切な人のことを思い浮かべながら、そして自分だったら誰に会いに行くかを想像しながら読んでもらえると嬉しいです。
清水晴木
「人生先生」と呼ばれる校務員さんが、生徒それぞれの悩みや問題と向き合って、いろいろな考えや答えを教えてくれる物語です。17歳を過ぎた人も、これから17歳になる人も、考えることを楽しんでくれる1冊になれば嬉しいです。
取材・原稿作成:東京書籍株式会社