寄席を飾る文字を書く仕事
4つの種類がある江戸文字
「寄席文字」とは,どういう文字だかわかりますか?
なんとなくのイメージは浮かんでも,千社札や提灯に使われる「江戸文字」,歌舞伎で使われる「勘亭流」,相撲の番付で目にする「相撲字」との違いまで明確に知っている人は少ないのではないでしょうか。これら4つの文字は,江戸時代から続いているという意味で,総称として「江戸文字」と表現されることもあります。
「江戸文字」という言葉が2回出て,わかりづらいですね。たとえば,「ほっぺにご飯がついてるよ」と言われたときの「ご飯」と,「ご飯をちゃんと食べてきたかい?」の「ご飯」の違いはわかると思います。「ごはん粒」か,「食事」としてなのかの違いです。書体を表す「江戸文字」と,総称としての「江戸文字」ということです。
東京の寄席は,すべて橘流の寄席文字で飾られています。いまから約180年前,寄席にお客さんを集めるための寄席ビラに書く文字として「ビラ字」が誕生しました。昭和初期に一度は途絶えましたが,ビラ字をルーツとして昭和40年代に橘右近師匠が復興させたのが「寄席文字」です。「文字を書く」というよりも「黒い墨で白い余白を作る」という意識を持って文字を作っています。特別に作られた短い穂の筆で,穂の根本にまでたっぷりと墨を吸わせて,太い線で書き上げます。美しい寄席文字は,右上がりでありながら安定したバランスを持ち,目立つ余白のないことが特徴です。
書体としての「江戸文字」は千社札や袢纏,提灯に使われる文字です。版木を彫ったり,染の型紙を切り抜いたり,骨の凹凸がある提灯に書く工程があるため,直線的な線で構成されているのが特徴です。最初から筆で書く「寄席文字」とは異なり,鉛筆で輪郭を下書きしています。
「勘亭流」はうねった表情があり,柔らかな曲線の行書や草書で芝居を表現しています。「相撲字」はかすれやささくれを残し,力強い楷書で書かれています。
橘流はこれら4つのうち「寄席文字」を書く流派です。
高校のクラブ活動で寄席文字を書くことに
寄席文字の世界に入ったきっかけは,高校のクラブ活動でした。1年生で入った芸能同好会は,基本的には落語をやる,いわゆる「落研」でした。
その年の文化祭の寄席の準備として「めくり」を書くことになったのですが,先輩からは「普通の書道の文字でやっている」という説明がありました。「寄席って,専門の文字があるんじゃないですか?」「あるけど,誰も書けないよ」「僕,書いてみたいです」「じゃあ,全部お前が書いてくれよ」という話になって,私が書くことになりました。そうは言っても書いたことがなかったので,立川談志師匠の『現代落語論』という本に小さく載っていた右近師匠の文字をルーペでのぞきながら,鉛筆で輪郭をとって書いていきました。いまならコピー機で拡大できますが,当時はそんな機械は使えなかったんです。1mmの文字を見ながら20cmに拡大して書くのですから,まるで違う字になりますよね。それが私のスタートでした。
師匠との出会い
2年生になると,本牧亭に通い始めました。上野にあった講談専門の寄席です。芸能同好会では落語も演じていたのですが,自分の声は落語に合わないと思って,講談をやろうと考えたんですね。素人でしたが,プロの方の独演会などで,前座さんのそのまた前の高座に上がった楽しい時期もあります。普通なら,そのまま芸人になるコースでしょうけれど,私は寄席文字の魅力に取りつかれていました。出入りしているうちに,おつき合いするようになった芸人さんのビラを書くようになりました。
大学生になり,橘右近師匠が寄席文字教室を開いていると聞いて,そこに通い始めました。一生懸命なのをくみ取っていただけたのか,昭和51年に「橘右龍」の名前をいただきました。
実は私,大学に5年行っているんです。本牧亭の楽屋で同世代の若手芸人さんと遊んだり,下足番や木戸,そして事務所でのお手伝いをしたりが楽しくて,4年のときは年に2日しか大学に行かなかったんです。毎日毎日,本牧亭に通っていましたね。
後世に残す
いま寄席文字書家をしていてうれしいのは,私の書いた文字を見た人が「まあ素敵」「いいわねえ」と言ってくれたときです。演芸ホールの看板の前で写真を撮っている人を見ると,「これ私が書いたんですよ!」って話しかけたくなりますね。
お客さんの「読む」という作業は,一瞬のことです。次の瞬間には,線の美しさ,均等に並んだ余白,バランスを感じています。「線がガサガサしている」「傾いて見えるね」「文字の大きさがバラバラだな」……などと言葉にはしていませんが,感じるものです。
とはいえ,お客さんに「いいね」をもらうことだけで満足していたら,いい字にはなりません。そもそも,お客さんに「いいねェ,寄席文字」と言わせるのは,私たちには簡単なことです。世間の人は,それっぽさを求めているのであって,パソコンの文字でも満足してしまいます。その中で,本物を伝える,理解してもらうという使命を一門は背負っています。紙と筆と墨だけの世界です。看板,めくり,ビラ,チラシなど,それぞれの中で,どう表現したらいいのかを,昔から書き手は考えてきました。お客さんは,気づきませんが,わかりやすく読んでもらう,美しいと思ってもらうための工夫が隠されているのです。
書き手としては,「進化」とか「新しさ」も必要と思っています。右近師匠の基本は守ったうえで,時代に合わせてもいます。ただそれが,改革なのか,個性なのか,横道なのかの判断は難しいところです。落語は自分の師匠とは違った芸でも許されることが多いのですが,寄席文字は基本をどこまで守っているかです。私は,「落語はプロレス,寄席文字は相撲」と言っています。リングから出ての場外乱闘もありのプロレスと,土俵から出たら負けになる相撲ということです。
言葉で「寄席文字」の素晴らしさを伝える
橘右近師匠は明治生まれで,普段の生活でも筆で文字を書いていたんですね。だから,普段の文字からとても上手で,寄席文字を書くと色っぽかった。「文字が色っぽい」なんて表現は,みなさんにはご理解いただけないかもしれません。でも,その色っぽさになんとか追いつきたいと思って日々文字を書いています。寄席文字教室での一番の目標は「目を育てること」です。どうしたら伝統的な寄席文字が書けるのか。
寄席文字は書道と異なり,書き順通りには文字を書きませんし,一度書いた後に小筆で細部を修正して形を整えても構いません。どうしたら,いい線が引けるのか,もっと良くするには何が足らないのか。理解する「目」があって,腕での作業になります。そのためには,できるだけ言葉でわかりやすい説明が必要です。書家には感性の人が多いのですが,感性だけでは生徒さんには伝わりません。後世に残せる理論があってはじめて,理解してもらえたりします。
努力は出会いを作るもの
「努力は裏切らない」という言葉がありますが,それは事実でしょうか。たとえば私が100m走をどれだけ練習したところで,今からオリンピック選手になることはできません。いえいえ,努力は必要なことですし,必死に頑張ることは必要です。大人には,努力することは当たり前のことでしかありません。時間にただ流されてしまっている人たちに対して,「頑張るといいことが起きるよ」と教えてくれているのです。
まず「何を選択するか」ということが大事なのだと思います。それぞれの世界のトップに立った人が「努力は裏切らない」と言います。まず,好きなことを見つけることです。「一生懸命」と「夢中になる」とでは,少々違う気もしますが,のめり込めることを見つけたいですね。「そうなら,僕はゲームだ」という言葉が聞こえてきますが,全員が食いつくようなことではないものを選びましょう。他人とは,違う目を持つこともいいですね。
そして,一生懸命やっていれば神様はちゃんと見ていて,出会いを作ってくれます。私も,落語や講談,そして,本牧亭や橘右近師匠や先輩たちとの出会いがなかったら,ここまで続けられなかったでしょう。努力をすることが,「出会い」につながったと思います。そういう意味では,やはり努力から始まるともいえるのでしょうね。
右近師匠から引き継いだものは,文字を書くというだけではありません。師匠はコレクターでもあり,私も同じくコレクターになりました。ビラ字の研究もしなければなりません。右近という人間の91年の生涯の記録もしておきたいものです。自分にできる仕事は何か,書くだけではなく寄席文字一門の中で,何をしてゆくべきかを見つけた幸せがあります。
橘流寄席文字を長く残したいと考えています。