※このページに書いてある内容は取材日(2021年07月27日)時点のものです
「選手や障がいのある方が困らないようにする」のが仕事
私は今、所属している富士通株式会社から出向し、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」で働いています(※)。「出向」というのは、所属先との雇用契約を維持したまま、別の企業や組織で働くことです。
私が所属しているのは、「パラリンピック統括室」の「アクセシビリティ課」というところで、選手や障がいのある関係者が困らないように、いろいろなことを考えて設備や環境を整えていくのが仕事です。特にパラリンピアンがどこかへ移動するときや、食事をするとき、朝起きてから寝るまでの一日の生活の中で、なにか困りごとはないか。会場への移動のほか、会場内の移動で不便な部分はないか。そうしたことを確認して、快適に過ごしてもらえるように整備します。たとえば、会場内の更衣室にあるシャワーの位置が高いと、車いすの方はシャワーに手が届かないため使いづらくなります。そういう場合は、シャワーの位置をあらかじめ低くして、タオルを置くための場所も低い位置にしたほうがいいのでは……といったことを一つ一つ確認して、どうしたらいいかを検討しながら整備していきます。
また、結局は新型コロナウイルスの影響で、今回は無観客での開催になってしまいましたが、通常のオリンピック・パラリンピックでは、観客の方にも障がいのある方がいらっしゃいます。会場へ向かう道や、会場内で、障がいのある方々にとって不便なことはないか確認して、環境を整えていくのも私の仕事です。そして、これらの仕事の内容を2024年にフランスのパリで開催される予定の大会の関係者、そしてその次の大会の関係者に継承していくことも重要になってきます。
※取材は2021年7月27日に行いました。(EduTownあしたね編集部)
会場内の 動線や、会場への移動ルートを確認し、整えていく
私個人としては、これまでは会場内の移動動線の確認を主に行ってきました。たとえば、オリンピックで体操競技の会場として使われた有明体操競技場は、パラリンピックでは「ボッチャ」という競技の会場になります。ボッチャは重度脳性まひ者、もしくは同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツのため、アスリートの方はみなさん車いすを使用しています。しかし、会場内には段差があったり、機器や映像中継機材のためにさまざまな配線があったりします。そういう場所でも車いすでスムーズに移動できるよう、事前に建物の図面や配線図を確認しながら、スロープや、ケーブル類の上にかぶせるプロテクターなどを準備し、ケーブルを守り、かつ車いすが通りやすくなるようにします。
また、健常者の方は階段で移動ができても、障がいのある方はエレベーターやスロープがないと移動が難しい場合もあります。そういう方が会場の最寄り駅から会場まで行くことができる「アクセシブルルート」を、一つ一つの会場について確認してきました。これについては、国際パラリンピック委員会の方々が定期的に来日されていたので、実際に一緒に歩いてアクセシブルルートなどを確認し、必要があれば関係者に整備などもお願いしてきました。実は今回の大会を契機に、これまで車いすでの移動が大変だった場所に、新たにスロープが付いた場所などがたくさんあります。また、会場のすべての最寄り駅に、オストメイト対応のトイレが設置されています。もしこれらの駅に行くことがあれば、こういうところもぜひ見ていただければと思います。
カナダの大学で気づいた「多様性(ダイバーシティ)」の大切さ
今の仕事をするにあたっては、私のこれまでの人生の中で経験したさまざまなことがつながってきています。
高校生のときに兄の影響を受けてモーターレースのF1が好きになり、その理由から機械や電気に興味を持ち始めて理系を選択しました。入学してまもなくのころ、以前から知り合いだった今の夫が留学をすることになり、結婚して、私も一緒にカナダのバンクーバーに行きました。そして現地のサイモンフレーザー大学で聴講生をしていたのですが、ここで、さまざまな人種はもちろん、さまざまな状況の人が学んでいるのを目の当たりにしました。日本の大学では、学生はみな同じくらいの年齢の人ばかりで、子どもがいる人はもちろん、結婚している人もあまりいません。でもこの大学では子育てをしながら学生をしている人もいれば、一度社会人になり、働きながら大学に通っている人もいる。日本の大学よりはるかに多様性があり、衝撃を受けました。
その後、日本へ戻り、在学中に第一子が生まれました。子育てをしながら大学院へ進学して就職活動の時期になりましたが、ちょうど第二子を妊娠しており、就職試験と第二子の出産が重なるような状況でした。保育園の関係で、当時、住んでいた家から引っ越すことは難しく、自宅から通えて学んだ知識も生かすことができる、そんな企業を探して、ここだと思って入社試験を受けたのが富士通株式会社でした。
出産間近で行った就職活動と、「支えられた」経験
富士通の面接の際、正直にそのときの状況をお話ししました。日本では子どもがいるどころか、結婚して大学に通っている人も少ないし、子持ちの新卒で入社試験を受けようとしている女性が珍しいのはわかっている、でも自分は可能な限りがんばりたい……そう伝えたところ、当時の面接官は「これからの時代、あなたのような人が必要です」と言ってくれました。まだ「ダイバーシティ」という言葉も一般的ではない時代でしたが、その後、合格の通知をもらったとき、「面接で話した私の思いが伝わったのかしら」という気持ちでとてもうれしくなったのを、今でもはっきり覚えています。
ただ、入社してからは本当に大変でした。最初は子どもがいることを研修中の同期に言っていなかったのですが、当時、0歳と2歳でしたから、熱を出しますし、病気で保育園に預けることができなくなるたびに、自宅での看病が必要でした。結局、周囲の仲間に「実は子どもがいて……」という事情を話したところ、同じく子どもを持つ同期の男子社員らが、出席できなかった研修のポイントを代わりに教えてくれたり、上司の奥様が励ましてくれたりと、周りの方のさまざまな励ましや支えを得ることができました。このときのありがたさというのは、今でも忘れることができません。いつか、困っている状況の人がいたら、今度は自分から声をかけるようにしよう、そう思うようになったきっかけでした。
「自分の強み」を探すために、会社の外に出ることを決意
その後、「知的財産」といわれる、開発した技術の権利や特許などを取り扱う部署で勤務していましたが、2005年から夫がまたカナダに行くことになり、家族で1年ほどカナダに滞在することになりました。当時、長男は6歳だったので現地の小学校に通っていたのですが、言葉の壁もあり最初は大変そうでした。しかしある日、とても楽しそうに帰ってきたんですね。「なぜだろう?」と思いある日、学校に様子を見に行ってみると、どうやらその学校では毎朝、児童を走らせているのですが、息子はたまたま身体が大きく、走るのも速かったので、周りの子からも「足の速い◯◯君」というイメージで受け入れられるようになっていたようでした。そのとき、「自分の得意なこと」をきっかけに周囲から認められることの大切さというのを実感し、私自身の「強み」は何だろう、というのを考えだすようになりました。
「自分自身の強み」を見つけるためには一度会社を出て、外からいろいろと考えることも必要では……そう思い、2013年から、グローバルな知的財産を扱っている機関に約2年間、出向しました。それまで約10年間、働いていた部署では基本的にはデスクワーク中心だったので、「もっといろいろな人とコミュニケーションをとり、話していく仕事がしてみたい」と思うようになっていたことも、出向のきっかけになりました。
さらに、自分が周囲の人に支えられた経験からも、たとえ困難を抱えていても働くことができ、その人その人の能力や特性に合った働き方ができる、そんな社会がこれからは必要なのではないか、そういう社会を作るためのお手伝いをできる仕事ができないか……。出向先での仕事ではイギリスやベルギーなどさまざまな国を訪れ、かつてカナダで感じた「多様性」をより実感したということもあり、自分の「やりたいこと」が徐々に固まっていきました。
「心のバリアフリー」教育を経てオリンピック・パラリンピックへ
ちょうどその当時、2020年に東京でオリンピック・パラリンピックが開催されることが決定しました。パラリンピックこそ、私の「やりたい仕事」なのかもしれないとひらめきましたが、すぐにパラリンピックに関わることはできません。帰任してすぐの時期は、会社の「オリンピック・パラリンピック」の部署でエンブレムマークなどの権利を管理する仕事を担当していました。そうするうちに声をかけていただいて、仕事の一環として「オリンピック・パラリンピック等経済界協議会」という組織の活動に加わるようになり、そこで行われている「心のバリアフリー教育」の活動に携わることになりました。
「心のバリアフリー」というのは、さまざまな心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合うこと。たとえば階段があり、車いすの人が向こう側に行くことができないのは、車いすの人に問題があるのではなく、社会が対応していないことに問題があります。そういう事例を通して「バリアフリー」について学んでいくことができるよう、企業や学校などでバリアフリー教育の出張授業を行ったり、障がい者スポーツを体験してもらったり、という仕事に関わりました。
さらに、経済界協議会の活動の一環として、2019年のラグビーワールドカップに向けて「バリアフリーマップ」という、会場と駅の間にどういう段差や傾斜があるなどを調べて地図にしたマップを作成するなどの仕事にも携わりました。そういった経験から、東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会での、今の仕事をすることになりました。
さまざまな立場の人がいるゆえの大変さ
今の仕事で大変だと感じるのは、行政サイドの方々をはじめ、本当にさまざまなバックグラウンドや意見を持った人たちが関わっているので、みんなの意見をまとめることが難しいという点でしょうか。たとえば企業だったら、トップダウンで物事が決まっていくことも多いと思います。しかし組織委員会にはさまざまな立場や考え方の人が関わっていて、よりよい大会にするために、みなが意見を出し合っています。お互いに考え方が違っていても、「こちらが正しくてあちらが間違っている」ということではない、そういうことがたくさんあります。そのために話し合いを重ねていく、これは大変なのですが、大切なことだと思っています。
新型コロナウイルスの流行もあり、この一年は主にリモートワークで仕事をしていました。緊急事態宣言で子どもたちの学校もリモート授業になり、家族がずっと家にいる中で、会場の細かい図面とにらめっこするのもなかなか大変でしたね。でも子どもたちも成長し、家族で過ごす時間が少なくなってきた中での出来事だったので、ある意味、貴重な体験だったのかもしれない、とも思っています。
「人と違う」ことを恐れないでほしい
これまでの人生で、私自身も「人とは違う」立場の気持ちを経験してきました。だからこそ思うのが、「人と違う」ことを恐れないでほしいということ。これはたとえば障がいがあるということだけでなく、立場や人種、環境など、人にはさまざまな「違い」がありますし、人それぞれに、乗り越えなければいけない事情があるでしょう。もしかしたら最初はそうしたことがネック(障がい)になって、自信が持てないかもしれません。でも周りのサポートを得ながらでも、自分のやりたいことを貫く、がんばることの大切さというのを私自身、実感してきましたし、読者のみなさんにもそれを知ってほしいと思っています。
また、みんなと違う状況の中でがんばっていると、不安や辛さを感じることがあると思います。でも不思議なもので、その自分を見てくれている人は必ず誰か一人はいるんですね。私もそうやって支えられてきましたし、必ずその人にしかできない役割というのが人にはあると思っています。ただそこに「居る」だけでもいいと思うのです。それを信じて、ぜひ自分のやりたいことを貫いてください。