※このページに書いてある内容は取材日(2020年12月04日)時点のものです
IoT技術を活用した「スマート農業」で,おいしいトマトを効率的に作る
私は神奈川県藤沢市にある,「株式会社 井出トマト農園」の社長を務めています。1930年に祖父の代からトマト栽培を始めたので,90年の歴史があり,私は三代目です。藤沢農場に加え,2018年には静岡県富士宮市に第二農場を整備し,一年中,トマトを収穫できる体制を整えました。現在,9棟のハウスを所有し,50名のスタッフが働いています。井出トマト農園では,大玉トマト,中玉トマト,ミニトマトなど13品種のトマトを育てています。肥料の栄養分がしっかり果実に届く水耕栽培を採用し,品質の高いおいしいトマトをお客さまに届けることにこだわっています。年間の生産量は約300トンです。
井出トマト農園では,IoT(モノのインターネット。身の回りのさまざまなモノがインターネットにつながる仕組み)技術を活用し,効率的に生産する「スマート農業」に取り組んでいます。気温や湿度,日射量,風速などのデータをセンサーで取得し,連動して暖房温度やカーテンの開閉具合などが自動で動作するように設定しています。また,各ハウスに1台,パソコンを設置しており,ハウス内の環境を一目で把握できるようにしています。センサーで取得したデータをパソコンにグラフで表示し,グラフから得られる情報と,これまでトマトを育てる中で得た知識の両方を使い,トマトが育つのに最適な環境を作るのです。ハウス内に温度むらができないように,温風の出る場所を調節するなど,おいしいトマトを収穫するために,さまざまな工夫をしています。そして収穫後は取得したデータの履歴を確認し,ハウス内の環境がトマトの品質にどう影響を与えたのかを分析することで,環境を改善していくことができます。よりよい成育環境にしていくことで,農薬の使用を減らしていくことができるのです。
収穫量や作業の進捗を管理するITシステムを開発
農業経営のためには,作業の計画を立て,スタッフを確保し,最適に配置することが重要です。私は2007年に父から農園を引き継ぎましたが,規模を拡大し,スタッフが増えていくにつれ,人と組織の問題にぶつかるようになりました。人によって作業の進み具合も違いますし,「時給は変わらないのに自分ばかり働いている気がする」と不満を持つ人も出てきました。人間関係がぎくしゃくして,多くのスタッフが辞めてしまったのです。そこで,「どうにかしなければ」と開発したのが,農業経営のために必要な要素をデータで管理するためのクラウド型ITシステム「AGRIOS(アグリオーエス)」です。「AGRIOS」を使えば,目標を設定し,達成するためにやるべきことを全員が把握して,作業を進めることができます。スタッフは収穫などの作業を終えるたびに,結果を「AGRIOS」に入力します。すると管理者は,やるべき仕事の進捗具合が今どれくらいなのか,期限内に作業を終えるためにはあと何人のスタッフがどれくらいの時間,働くことが必要なのかを,確認することができるのです。スタッフ一人一人の作業量や,作業班ごとの成果を見ることもできます。成果が目に見えるようになることで,スタッフもスピードを意識するようになり,より効率的に作業を進められるようになりました。
また,「AGRIOS」では収穫実績の集計もできるので,肥料などの材料費や人件費のデータと合わせれば,「一つのトマトを何円で生産できたか」という原価の管理ができます。さらに,「トマトをいくらで売れば,目標の売上高を達成できるのか」といった,販売管理にも活用できます。「AGRIOS」のシステムは,トマトに限らず,さまざまな農業経営に利用可能なので,外部に販売もしており,現在,15社以上でご利用いただいています。
約束したトマトを,約束した品質で作り出す
私は社長として,「どんな未来に向かっているのか」を,スタッフに自信を持って言えることが大事だと思っています。目指す場所がどこで,そこに50人で行くためにはどうすればいいのか。計画を立てて,リーダーシップを発揮していく必要があります。そのためには,データを集めて,数字を出し,それをもとに数値目標を設定する必要があるので,そのためにIoT技術や「AGRIOS」などのテクノロジーを利用しています。そして,そうすることで,「お客さまと約束したトマトを,約束した品質で作り出す」ことを実現しています。
私の社長としての仕事は大きく三つあります。一つ目は営業です。メールマガジンやSNSを利用して個人のお客さま向けに情報発信をしたり,スーパーなど小売店の方に提案して,出荷する数量や価格を決めたりしています。そして二つ目は,生産マネージャーの仕事です。トマトの苗木に品質の高い果実を生み出してもらうために,IoTを活用しながら光,水,空気をコントロールし,狙い通りのトマトを継続的に作り出します。そして,三つ目が経営です。経営計画を立てるほか,社員の評価制度を作ったり,社員と個別面談をして,個人ごとの目標設定を行ったりします。スタッフの目標設定や評価にも「AGRIOS」が活躍します。例えばパートの方の場合,「作業のスピード」が50%,「上司の考えの理解」が15%,「トマトの品質」が10%,その他,「整理整頓」や「チームワーク」など,細かく評価の配点が決まっているのですが,作業スピードなどのデータは「AGRIOS」で管理することができます。基準を大きく下回ると時給が下がりますし,基準を上回っていれば,時給が上がる仕組みになっているのです。感覚ではなくデータで見える点が,管理者だけでなくスタッフ本人にも分かりやすく,スタッフの働きがいにつながっていると感じています。
不動産会社での経験も農園経営に生かし,事業を拡大
私は大学卒業後,実家に戻り,井出トマト農園で働いていたのですが,父と意見がぶつかり,1年半ほどで辞めてしまいました。それから半年間,溶接工として働き,その後,2年間は不動産会社で営業の仕事をしていました。不動産会社に就職後,最初は営業成績が悪く,3か月目には大きな失敗をして上司に思いきり怒られました。かなり絞られたのですが,怒られながらも,「今,仕事をする上で大切なことを教えてもらっているので,これはラッキーだ」とも思いました。上司の言うことをしっかり聞いて仕事をすれば,成績を上げられると考えたのです。実際にそこから成績が上がり,2か月に一回はトップの営業成績を収められるようになりました。社長にも目をかけてもらい,2年目には役員会議にも参加するようになったくらいです。
しかし,父が体調を崩してしまったため,2006年に不動産会社を辞めて,井出トマト農園に戻ることにしました。そこから1年間は父の言うことを尊重して,仕事のノウハウを吸収することに集中しました。そして,2年目くらいからは,不動産会社で学んだ,お客さまと信頼関係を築く方法を生かしながら,商談の説得力を強めるためのパンフレットを作るなど,少しずつ仕事のやり方を変えていきました。しかし,戻ってからしばらくは,売り先を変えるなど,思いつく限りの工夫をしても,なかなか儲けが出ませんでした。そして次第に「いくら働いても儲けが出ないのは,原価計算ができていないからだ」ということに気づいたのです。そこから,収穫量を記録し,データを残して分析・改善していくことを始めました。その後,2007年に農園を継いで,この方向性をさらに推し進めていきました。その結果,当初,10名だったスタッフを50名に増やすまでに事業を拡大することができました。
失敗を恐れず,挑戦したことから人気商品が生まれた
私は,お客さまに喜んでもらえる,安全でおいしいトマトを作ることにこだわっています。そして,スタッフのみんなが楽しそうに働いてくれることにやりがいを感じています。また,失敗を恐れず,挑戦することも大切にしています。
井出トマト農園では,トマトジュースなどの加工品についても私が試作から開発に携わり,直売所や通販などで販売しています。売れ筋はトマトジュース,ケチャップ,トマトビーフカレーで,いずれもオリジナル商品です。
加工食品の販売は,ある失敗がきっかけで始まりました。あるとき,トマトが大きく育ちすぎてしまい,農協(農業協同組合)に引き取ってもらえないトマトが3トンもたまってしまったのです。穴を掘って埋めようかとも考えましたが,大きいだけで,味はとてもいいトマトを捨ててしまうのはもったいないと思いました。そこで,トマトジュースにすることにしたのです。すぐに電話帳で加工工場を調べて持って行き,大量のトマトのヘタも手作業で全部取り,トマトジュースに加工しました。そして,苦労して作ったジュースを飲んでみると……まったくおいしくなかったんです。売ることもできず,仕方がないので自分で飲むことにしました。
しかし,1か月後に飲んでみると,果肉がトロトロに変化して,今まで飲んだことがないくらいのおいしいトマトジュースになっていたのです。そこから,現在では多くのファンを持つ,トマトジュースの製造が始まりました。今後もスタッフとともに,さまざまなことに挑戦していきたいと考えています。
スタッフとのコミュニケーションに苦労した
仕事をする中で,スタッフとのコミュニケーションには苦労しました。コミュニケーションがもともと上手なほうではなかったので,経営をしながら,徐々に学んでいきました。
人は話すときに,伝えたいことを100%,話せているわけではありません。実は伝えたいことの70%くらいしか話せておらず,聞き手もその70%くらいしか理解していないため,結局は半分くらいしか伝わっていないことが多いのですが,そのことを私が理解できていなかったのだと思います。多くのスタッフが辞めてしまい,悩む時期が続きました。
そこで,コミュニケーションの問題を解決するために,みなで会社の考え方を100項目ほどの冊子にまとめ,スタッフ全員と共有することにしました。目的や価値観やルールを共有することが大事だと考えたのです。その冊子は,スタッフの考えも加えて,年に4回,改訂しています。そうすることで,頼りになる仲間を次第に増やしていくことができました。
小さいころから「トマト屋さん」が夢だった
幼稚園のころから,夢は「トマト屋さんになること」でした。子どものころは,働く父と母の後を追いかけて,弟と遊びながら,トマト農園の仕事をよく手伝っていました。勉強では,数学や理科など理系の勉強が得意で,成績もいいほうだったと思います。
中学3年生のころに母が亡くなり,父と弟と私の男3人暮らしになりました。そこから,弱い自分では生きていけないと,厳しい父の強さを見習って育ったため,自分自身も父と似た性格になっていったように感じています。それでその後,コミュニケーションに悩むことにもなりました。
高校生のころにはファミリーレストランでアルバイトをしました。焼く,煮るという料理の基本や,オーブンの使い方を学び,「こんな味が自分で作れるんだ」と,料理に興味を持つようになりました。そこから料理が好きになり,家でも作るようになりました。この経験が,今でもケチャップやビーフカレーなどの加工品を開発するときに役立っています。
いいと思ったことを,すぐにやってみることで道が開ける
みなさんには,自分にできる努力をいとわずにたくさんして,人の役に立てる人になってほしいと思います。そのためには,何かがうまくいかなくても時代や環境のせいにせずに,自分で努力することが必要です。努力して成長して,器の大きい人間になることが大切だと思います。
トマト農園を始めた祖父の代から続く井出家の家訓は,「いいことはどんどんやれ」です。私も,データを生かして農業を効率化することが必要だと考え,原価計算をして経営をするような同業者があまりまわりにいなくても,データに基づいた経営に挑戦し,成果を出してきました。いい意味で空気を読まず,思い立ったらすぐにやってみることで,道を切り開くことができたのです。もちろん失敗することもありますが,挑戦する姿勢を持つことは大切だと思います。みなさんも自分の可能性を信じて挑戦し,未来を広げていってほしいと思います。