※このページに書いてある内容は取材日(2017年04月16日)時点のものです
沖縄の歴史とともに歩んできた銀行
私が勤めている「琉球銀行」は,県内で最も初めに創立された歴史のある銀行です。みなさんは沖縄県がアメリカの一部だったことを知っていますか。沖縄県は第二次世界大戦の影響で,1945年からの27年間,日本ではなくアメリカの管理下にありました。なので沖縄に住む人々は,それまでの日本の通貨“円”での暮らしから“ドル”を使って生活をするルールになり,物の価値や生活が大きく変わってしまいました。そんな沖縄の人々の暮らしを守る「中央銀行」として,物価の安定と経済発展のために1948年 琉球銀行は設立されました。中央銀行とは,国で使われる通貨を発行する権利を持ち,国内の銀行の管理をする役割を持っています。中学生のみなさんが社会科公民で学ぶ,「日本銀行」は日本の中央銀行です。基本的にはひとつの国にひとつしか存在しませんが,当時の沖縄は,日本でもアメリカでもない特別な地域でしたので,琉球銀行がその枠割を担っていました。1972年,沖縄が日本に返還されたときに「地方銀行」として生まれ変わり,今では地域から親しまれ信頼される銀行として,沖縄の皆様の暮らしに貢献しています。
世界と繋がる仕事
銀行の大きな役割の一つに,お客様からお金をお預かりし,必要としている方にお貸しする「融資」という仕事があります。私の勤めている銀行も,お客様からお金を預けていただき融資に活用しています。ただ,お預かりした全てのお金を融資に利用できている訳ではありません。そのため,一部のお金は日本政府や都道府県などの地方公共団体,または海外の政府が発行する債券や企業が発行する株式,投資信託といった「有価証券」と呼ばれる金融商品を,専門に扱っている金融市場(マーケット)で運用し,お客様からお預かりした大切なお金を増やすことに努めています。
私の所属する証券国際部は,その運用業務を行う部署です。取り引きを行うフロント業務とそれをサポートしているバック業務と呼ばれる仕事があり,私はバック業務を担当しています。朝は7時に出勤。ヨーロッパやアメリカのマーケットがどのように動いたか情報収集し,その後,8時からフロント担当者や上司とのミーティングで報告します。8時半過ぎには,営業店の行員向けに情報を発信しています。私たちの証券国際部のスタッフはお客様と直接会う機会はほとんどありませんが,営業店の行員がお客様のためにスムーズにやり取りできるようサポートしています。私の担当するバック業務は,フロント担当者の指示に従いデータ入力や入金確認といった事務処理を行います。基本5時までの勤務ですが,3時頃になるとヨーロッパの取り引きがスタートするため,海外で大きなニュースがある場合には残業をすることもあります。最近では英国のEU離脱や米大統領選のときは,マーケットも大きく動き非常に忙しくなります。
私たちの銀行には1300人以上の行員が働いていますが,フロント業務を担当しているのは4名のみで,バック業務は私を含め3人で行っています。
「友達」ってなんだろう?
子どもの頃はとにかく目立ちたがり屋で,人前に出るのが大好きでした。学芸会でも自分から主役に立候補して,学校代表で意見発表会にも参加しました。中学校では生徒会の会長選挙に立候補して,副会長に選ばれました。ボーイスカウトにも入ってましたよ。キャンプなどの野外活動はもちろん,リーダーも務めてメンバーを引率していましたね。この頃から,率先して人の役に立ちたいという気持ちが芽生え始めたと思います。
ですが,私には友達がいなかったんです。クラスメイトや部活の仲間はいましたが,会話が合わないというか,打ち解けられなくて,学校のどこにいても寂しい思いをしていました。私が目立つことをしていた理由のひとつは,友達が欲しかったんだと思います。教室での寂しさを埋めるために,生徒会活動に打ち込んでいたというのが本音ですね。結局,中学校まで「友達」と呼べる人には出会えませんでした。私の思う友達は,“楽しく遊ぶ”だけの関係ではなく,“心のつながり”が感じられる関係です。ワクワクすることも大切だけれど,時には本音で互いの意見をぶつけ合ったり,時にはライバルになったり,でも絶対に嫌いにならない,そんな「友達」が欲しいと思っていました。
「友達」と呼べる関係
高校生になってからは,放送部に所属しました。放送部と聞くと,昼休みの校内放送とか楽しそうなクラブ活動というイメージがあると思いますが,私たちは全国の高校生が競う放送コンクールを目指し,九州大会や全国大会に向けて番組制作やアナウンスの練習に明け暮れていました。
朝6時から学校に行って放課後は夜8時くらいまで,土日も夏休みも部活一色の毎日でした。大会に出品する作品の長さは8分と決まっていましたので,その短い中に内容はもちろん,どんな構成にするのか,見ている人に分かりやすく伝えるために何を工夫すべきか考え,真剣に取り組みました。部員のさまざまな視点を盛り込むことで面白い番組ができあがると信じつつも,もっと良い作品にしたい,もっと上手になりたいとの思いが強くなり過ぎて,時には激しく思いを戦わせることもありました。3年生で部長になったのですが,私の気負いすぎたリーダーぶりに,後輩から“鬼部長”と陰でいわれるほど体育会系のノリでしたね。チーム全員の思いと努力が詰まった作品が,全国大会で入賞したときに部員全員で大喜びしたのは,今でもいい思い出です。そのときの仲間は,私のかけがえのない親友です。
将来の夢はアナウンサー!のはずが…
放送部の経験からマスコミの仕事に興味を持ちました。個人でもアナウンスで入賞した経験もありましたので,将来の夢は「アナウンサー」と決め,有名なアナウンサーが多く通ったという大学に進学し,マスコミ専攻で勉強をしました。マスコミ専攻のゼミは,選抜試験があるほどハードルが高く,中でもアナウンサーコースは少人数しか受けることができませんでした。マスコミとは,正しくは「マスコミュニケーション」といって,多くの人という意味の“マス”に対して,コミュニケーションするという意味です。“コミュニケーション”とは,言葉によって心や気持ちが通い合い,お互いが理解できるようになることです。
しかし,次第に「自分がやりたい仕事ではないかもしれない」と思うようになりました。アナウンサーは人に伝える魅力的な仕事だけれど,テレビやラジオの向こう側で聴いてくださる人の顔が見えなくて,どう感じたのかが直接は分かりません。伝えることが重視されて,一方通行の情報発信になってしまわないかと気になりました。そのとき,自分は双方向のコミュニケーションが理想だと思っていて“伝える人”と“受け取る人”双方の“人”との交流がしたい,それを実現できる仕事としてマスコミに関わる職業を望んでいるのだと気づきました。
途端にアナウンサーを目指していた気持ちが消えてしまい,自分の進路が見えなくなって不安でしたね。何よりも心苦しかったことは,両親にそのことを言えなかったことです。大学進学のときに「アナウンサーになるために是非この大学に行きたい!」と頼み込んで説得し,東京の大学に行かせてもらった手前,両親に申し訳なかったですね。
「人に関わりたい!」その気持ちは変わらない
アナウンサーの夢は消えましたが,ずっとそこに立ち止まってもいられません。次の目標を探してみることにしました。社会にはどんな職業があるのか,どんな仕事が自分に向いているのかヒントを見つけたくて,企業説明会にも積極的に参加しました。別に「就職できればなんでもいいや」という気持ちではなかったですよ。やはり「人に関わりたい!」という思いは変わらなかったので,何を軸に“人”と関われるのかを知りたくて情報を集めていました。
その中で「お金」に関わる仕事に興味を持ちました。お金は“命の次に大切”といえます。人の暮らしにはわずかであってもお金が欠かせません。衣食住はもちろんですが,赤ちゃんが生まれたり結婚したりなど家族が増えるとき,引っ越したり進学したりなど環境が変わるときにもお金は必要です。そんなふうに誰かの人生に密接に関わるお金を扱う仕事である「銀行員」になることを決めました。
金融機関には「都市銀行」と言われる全国に支店を持つ大きな銀行や「証券会社」などがありますが,性別や年齢層を問わずさまざまなお客様が来店される「地域銀行」を希望しました。その中でも,沖縄の歴史の転換期を支え,今でも地域に親しまれ信頼される琉球銀行で,地域の方々の暮らしに寄り添っていきたいと思いました。
お金は夢の応援団
私は入行して初めの数年間は支店勤務をしました。個人のお客様が多く,税金の払い込みや入出金はもちろん,お母さんがお子様の口座開設のために来店したり,車や家の購入や退職金の相談をしたり,お客様の夢や人生設計のお手伝いをさせていただきました。またお年玉を貯めて窓口に預けに来てくれる子どもたちや,100円をコツコツ貯金箱に貯めて嬉しそうに持ってくるおばあさんから大切なことを教わりました。それは夢や目標は,毎日の小さな努力と思いを乗せたお金が積み重なってかなえられるということです。人生の節目にもお金は必要になってきます。お金とは夢をかなえたり,暮らしを豊かにしたりする応援団だと思います,私が勤める銀行には,一人ひとりの思いと小さなお金が集まってきます。一生懸命に働いたお金,年金,結婚や出産祝いなど金額の大小に関係なく全てが大切です。だから,その大切なお金をしっかり守ることが銀行員の仕事だということをお客様の姿を通して学びました。
今は証券国際部に配属されて,直接お客様とお会いする機会はありませんが,支店時代にお世話になった方々のお顔を思い出しながら自分の仕事と向き合っています。夜10時になると世界のお金の動きがわかるニュースが毎日流れるのですが,お客様の損得に関わる大切な情報なので気になってしまい,寝ていても遊んでいても,その時間だけは情報を確認します。
とはいえ,うまくできないことや時には先輩や仲間に迷惑をかけてしまうこともありますが,小さな努力を重ねて自分の成長につなげていくことが,お客様に対する責任だと思って毎日頑張っています。
怖がらないで,行動を起こしてみて!
私は子どものころ,友達がいなくてクラスに溶け込めなかったのですが,ボーイスカウトという学校以外の世界を持っていました。そこには自分より年下だったり,お父さんと同じくらいの人がいたり,自分とは違う価値観の人がいて多くのことを私に教えてくれました。その人たちとの時間が楽しくて,ますます学校で浮いてしまう存在になっていたかもしれません。振り返ってみると,そのときはただ寂しいという気持ちを紛らわしていただけかもしれませんが,それが大人になった“今”の力になっています。あの頃,世界を広げる挑戦をしていなかったら,望まない未来になっていたかもしれません。
もしあなたが,“今”いる場所や時間に居心地の悪さを感じて,寂しく思っているとしたら,もう少しだけ目線を上げてみませんか。別の世界に自分の居場所,自分の理解者が必ずいます。学校はとても大切な場所であることに変わりありませんが,学校での学びやクラスのお友達だけが全てではありません。自分が安心できる場所や自分を輝かせてくれる世界はたくさんあります。だから挑戦しよう!自分が動けば,世界は変わります。失敗を恐れずに駆け抜けてください。未来には笑顔のあなたが待っていますよ。