※このページに書いてある内容は取材日(2017年05月30日)時点のものです
読者の世界をほんの少し広げる手伝いがしたい
この世の中には,無数の世界があって,無数の人が住んでいます。それを知ったとき,自分が閉じこもっている世界だけがすべてではないと分かったときに,人は自分の閉じた世界から前に出られるのではないかと思います。あるいは,ほっと一息つけると思います。それを,自分が経験するよりも,人に聞いたりするよりも簡単に教えてくれるのが本(物語,小説)だと,私は思っています。
私は,自分の中にいる「人」を書きたくて物語を書いています。私がとらえた人間というものを見てもらいたい,という気持ちが強くあります。私の本を読んだ人の中で一人でもいいから,私がとらえた人間を本の中から想像して「生きた人間」を感じてくれたら,とてもうれしく思います。「そうか,こういう人がいるのか」「こういう世界があるのか」と思ってくれたら,そして本を読む前よりほんの少し,読者の内面が豊かになるお手伝いができたら,とてもうれしくて誇らしいと思います。
規則正しい生活の中で毎日の執筆が理想,だけど……
何か特別な用事がない限り,土日を含めた毎日,朝は10時から,夕方5時まで,執筆部屋でパソコンに向かっています。たまに夕御飯が終わったあと,8時頃から書くこともありますが,昼間より頭が働かないので,ネットニュースを見てしまったりしてあまりはかどりません。夜中でないと書けない作家さんもいるので,執筆スタイルは人それぞれです。
今はもう自分のペースで執筆していますが,若いときは家事や家業を優先せざるを得ず,とくに子どもが小さいときは,学校から帰ってきたらもう仕事はできませんでした。「家族がいなければ,子どもがいなければもう少し書けたのに」と思ったこともありますが,それは嘘で,やっぱりどんな状況でも書ける人がプロになるのだ,ということがわかりました。
自分の中にいる「人」を書くことで物語をつくる
創作の方法は十人十色,作家さんそれぞれの方法があって,こういう書き方が正しいという答えはありませんが,私の場合は,書きたい「人」が見えてきた時点で書き出します。そのため,物語のプロット(構成)は一切考えません。
書きたい人が浮かび上がってくると,その人の周りが見えてくるんです。たとえば,その人が江戸の商人なのか,現代の中学生なのかで周りの風景は違ってきますし,他の大事な人物も見えてきます。主人公と背景,その周囲の人たちが見え出したあたりから書き出します。
私はプロットをあらかじめ立ててしまうと,話を狭いところに追い込んでしまいがちです。作家さんによってはきちんとプロットを立てることで,完成度を上げている場合もあります。私の場合は,何が起こるか分からない,というところで書いていくほうが,物語が広がりをもつように感じています。
『バッテリー』を書いたときも,主人公,原田巧が最初に浮かび上がってきました。彼が浮かんだとき,彼の性格では中学校ではなかなか生き延びられないな,と思ったんです。そうしたら,相手の永倉豪という少年が浮かび,青波という弟が浮かび,そうやって仲間や家族ができてきて,物語が始まったのです。
人を知るために観察し,想像する力をつけてほしい
私は岡山県のいなかで生まれ育ちました。祖母が小さな食堂をしていたので,日々そこでいろんな人を見てきました。小さな温泉町の食堂なので有名人は来ないのですが,ヌードダンサーのお姉さんや芸者のおかみさん,近隣の農家のおじさんなどが,何百円か握りしめて,食べに来るんですね。祖母も含めていろんな人を見て思ったのが,人って一つの鏡だけで見てはいけないな,いろんな種類の人がいるんだな,ということでした。
立派な人,成功した人の様子は,何もしなくとも情報が入ってくるのですが,そうじゃない大半の人は,広く知られることなく一生を終えていきます。そういう人が小さな温泉町にはいっぱいいたので,その人たちを見ているのが私にはすごくおもしろかったんです。そしてその体験は,今私がものを書いている上で財産になっています。
人に対する興味を持ち続けることは,小説家になりたい人には必要ですし,そうでない人にとっても人生を確実に豊かにします。なるべく人と話をしてみる,あるいは人を眺めることをしてみてください。たとえば友達と駅で待ち合わせをして,友達が15分遅れてきたとしたら,その15分の間に行き交う人を見てみましょう。子どもが泣きながらお母さんについていっている,転んだんだろうか,怒られたんだろうか,お母さんはどんな人だろうかとか,想像力を働かせてみてください。想像力は使えば使うほど力をつけてきます。そうしたら,友達が遅れてきてくれた15分がとても大切な時間になりますよ。
本は人を知り,自分を知るための有効な手段
インターネットが発達している現在,情報を取り入れ,それをうまく選択して使う力は育っていくでしょう。しかし,情報に振り回されてしまって本当のことが見えなくなり,自分を見失って,迷ったりすることもあると思うんです。情報に振り回されないために必要なことは,「自分を知っていくこと」だと私は思っています。そして自分を知るためには,他の人を知ることが必要です。
そのためには,情報やニュースを取り入れつつ,その一方でネットではできない営みをすることが大事だと思います。それは実際に人と会ったり,音楽や運動などをしてもいいのですが,身近にできるよい方法の1つが本を読むことです。たとえば文庫本が1冊あったら,その1冊の中に人ひとりの人生が詰まっています。人ひとりの人生と付き合おうと思うと,ものすごいエネルギーと時間を費やす必要がありますし,私たちが実際に付き合っていける人の人生って,どんなに飛び回っても数えるほどしかありません。それを本が代わって教えてくれます。
その人は,あなたにとって不快な,嫌な人かもしれないし,すごく愛おしい人かもしれないし,何かちょっと気になる程度の人かもしれない。自分を重ね合わせる人かもしれない。いろんな人がいろんなふうに生きているということを知ることができるのは,小説家になりたい人はもちろん,そうでない人でも,これからますます大事になっていくと思います。
小説家になるために必要なことは?
小説家になるには,3つのことを続けていると可能性が高まります。まずは,たくさん読んでたくさん書くということが大事です。読むことの大切さはこれまでお伝えしてきました。
書くというと,ハードルが高いように思うかもしれませんが,最初から物語を書かなくていいのです。日記でも何でもいいので,自分の思いをつづり続けることが大切です。
書く力は筋肉トレーニングといっしょで,毎日鍛えていると,ある一定の力は必ずついてきます。たとえば今日原稿用紙3枚書いたら,書かなかった昨日よりも確実に力はついています。文章がうまくなるためには,読んで,言葉を覚えて,それを使うことが大切です。書くことによって,自分の気持ちもリアルに動きますし,言葉も覚えます。
しかし,それはある一定までのことです。その一線を越すためにはいろいろな要素が必要ですが,私が言えるのは,書きたいという意欲が重要だということです。本当に作家になりたいという人は,親に認められるからでも,先生にほめられるからでもなく,書きたいから書き続けます。その書きたいという欲望が,一線を越すひとつの原動力になります。
そして何度も言いますが,3つめは,人に対する興味を持ち続けることです。これらのことを続けることが大切ですが,できなければ途中でやめてしまってもいいし,また始めてもいいんです。それまでやってきたことは小説家にならなくても力になっているし,将来あなた自身を助けてくれます。
読書よりも漫画が好きだった子どもの頃
私自身は小さい頃は本を読む子ではなく,むしろ漫画のほうが好きで,描いたり読んだりしていました。あるいは外で遊んだり,祖母の食堂でいろんな人を見ているほうが好きな子どもでした。そのため,小学生の頃は漫画家になりたかったんです。手塚治虫とか石ノ森章太郎とか赤塚不二夫などが出てきた漫画の黄金時代で,私だけでなくみんなが夢中になっていました。とはいえ,絵がそんなに描けなかったので私には無理だということは,小学校高学年からわかっていました。さらに,私は漫画を書きたいのではなくて,ストーリーを考えるのが好きだったんだということに気がついたのも,その頃でした。
中学校に入ってから本をよく読むようになるのですが,海外ミステリー,コナン・ドイルやアガサ・クリスティー,エラリー・クイーンなどの,今では古典と呼ばれるものに夢中になりました。中学生になってから読書に目覚めたのは,小説家としては遅いほうかもしれません。しかしそのとき,読むだけではなく,ものを書く人になりたいと思いました。
小説家になりたい,あるいは自分の人生を豊かにしたい人へ
読んだり書いたりすることが好きだということは,あなたの知らないうちにあなたの支えになっています。あなたが物語を書くことで,誰かを支えられることがあるかもしれません。それは生き方としてはとてもステキなことだと思います。
ただ,小説家という仕事は特殊な仕事で,専業で生計を立てられる人はもともと少ないし,出版不況の現在ではさらに困難です。それでも小説家になろうと思ったら,手に職をつけておいてください。ものを書く仕事は,諦めさえしなければ年齢は関係ありません。
また,人に対して興味があるということは,小説家になるということよりも大切で,これから先のあなたの日々をおもしろいものにしてくれます。そしてあなた自身が,おもしろくて魅力的な人になれることでしょう。好きな人はもちろん,嫌いな人でもそうでない人でも,「この人はこんな人」と最初から線引きせず,先入観をもたずに,観察して,積極的にかかわってみてください。