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1992年 生まれ 出身地 岩手県
平野ひらの 恵里子えりこ
子供の頃の夢: 花屋,体育の先生
クラブ活動(中学校): バレーボール部
仕事内容
かんしゃの気持ちをわすれず,楽しみながらラグビーをプレーする。
自己紹介
くまのようなせいかくです。グラウンドでははげしいプレーが好きですが,だんはあまり人とれることもなく,一人でのんびりしています。お休みの日は,部屋のそうをしたりえいを見たりして気分てんかんをしています。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2019年06月04日)時点のものです

はげしいプレーがラグビーのりょく

激しいプレーがラグビーの魅力

わたしは「YOKOHAMA TKM」という女子ラグビーチームの選手です。ポジションはウイングで,チームではキャプテンをつとめています。
ラグビーには15にんせいと7にんせいがあります。プレー人数はことなっても,ほんてきにルールは同じです。だ円形のボールをパスやキックで味方につなぎ,ゴールラインをえたインゴールというエリアへ持ちこんで得点します。これをラグビー用語で「トライ」といいます。この他にもボールをキックして,インゴールにあるゴールポストの間をねらう得点しゅだんもあります。わたしまかされているウイングはトライをねらう機会の多いポジションです。味方からパスをもらったら,相手選手をかわし,ゴールへと向かいます。スピードや運動量が求められるポジションです。
両チームの選手が組み合うスクラムや,ボールを持った選手に飛びかかるタックルなど,はげしい体のせっしょくも多いきょうですが,それもラグビーのりょくの一つです。女子であろうと,男子と変わらないはくりょくのあるプレーがひろげられています。男女ともに,オリンピックでは7にんせいが,4年に1度のワールドカップでは7にんせいと15にんせいの両方がさいようされています。オリンピックやワールドカップに出場する代表メンバーに選ばれるよう,多くの選手が日々の練習に取り組んでいます。もちろんわたしもその一人です。

午前中はの仕事,午後から練習

午前中は事務の仕事,午後から練習

残念ながら,いま国内に女子ラグビーのプロリーグはありません。げんざい,トップチームに位置するのは12チームあり,大学チームもありますが,多くの選手はぎょうなどにつとめて別の仕事もしながらプレーしています。
わたししょぞくするYOKOHAMA TKMは,「戸田中央医科グループ」というりょうかいせつなどをうんえいするグループが母体となっています。選手はグループの病院やかいせつかんせんもん学校などで,受付ぎょうかいじょなどのぎょうを行っています。わたしもグループの本部でしょとして働いており,理事長のスケジュール管理の手伝いをしています。
平日の午前中はそれぞれのしょくで仕事をして,お昼ご飯を食べたらチームのバスでグラウンドへどうし,午後からはラグビー選手として練習をします。トレーニングや練習試合であせを流して,練習が終わるのは夕方です。ほとんどの選手はチームのりょうで生活をしているため,ばんはんもみんなでいっしょに食べています。だんから生活を共にしてコミュニケーションを重ねることで,チームの結束も固まり,グラウンド内でもよいこうあらわれているように思います。
試合はおもに土日に,全国各地でかいさいされます。試合のあったよくじつの月曜はお休みになります。試合のない週末は土曜日の午前中だけ練習して,土曜日の午後と日曜日はお休みしています。

最初はつらかったキャプテン

最初はつらかったキャプテン

わたしは大学を卒業後,今のチームに加入したのですが,入って2年目に,投票でキャプテンに選ばれました。正直,自分には荷が重いと感じていました。「試合に勝たなければ」,「みんなの手本にならなければ」,「自分の調子が悪くてもチームを引っぱっていかなければ」,そうしたプレッシャーにえながらも,キャプテンとしてのせきにんを果たせない毎日がつらく,当時は一人でよく泣いていました。試合に負けた日は,おうえんに来てくれた人たちにもうわけない気持ちでいっぱいでした。結局,にんの1年間は後ろ向きな気持ちでキャプテンを続けたのですが,いまかえると,キャプテンとしてチームをまとめきれていなかったように思います。
チームに加入して2017年にアイルランドでかいさいされたワールドカップへの出場と,その後にけいけんしたオーストラリアへのラグビーりゅうがくて,いまふたたび,わたしはこのチームでキャプテンをまかされています。しばらくチームをはなれたことがきっかけで,一人で全部をわなくてもいいんだ,わたしわたしらしくやればいいんだ,と考えられるようになったため,いまのわたしは,仲間の意見をよく聞いて,チームをまとめることに集中できています。練習や試合中に選手をまとめるグラウンドキャプテンを別に置いて,やくわりを分散させたこともかたの荷を軽くしました。
いまキャプテンとしてつらいことは何もありません。みんながラグビーを楽しんでいることが,キャプテンであるわたしの喜びです。

メンタルトレーニングで自信を持てるようになった

メンタルトレーニングで自信を持てるようになった

YOKOHAMA TKMの仲間とはずっといっしょにプレーしているので,試合の中で自分に求められていることや,おたがいのやるべきことがよくわかっています。一方で日本代表チームに選出されたときは,アピールする場だとしきして,自信を持って自分の強みを出そうと心がけています。
わたしの強みはスピードと,ゴールを目指す強さです。ウイングというポジションに求められているのは,トライへのしゅうねん。ボールを持ったら横にげるのではなく,前に向かうことがわたしの仕事だと思っています。また,ボールを持った相手にタックルをするのも好きです。ウイングの選手ではめずらしいかもしれませんが,そんなはげしいプレーもわたしの強みの一つだと思っています。
そんなわたしですが,なかなか自分に自信を持つことができず,せいしんめんの弱さが課題でした。そこで,2度目のキャプテンをまかされたころから,せんもんにメンタルトレーニングをお願いするようにしたのです。いまわたしは,定期的にせんもんとの面談を行っています。またまいばん,その日をかえって自分がちゃんとできたことを3つ挙げ,セルフハグ(自分自身をきしめること)をしています。このように,アドバイスを受けて自分自身をみとめてあげるしゅうかんをつけることで,自信が持てるようになってきました。こうしたメンタルトレーニングのおかげでプレーも安定し,代表の合宿でも自信を持ってふるまえるようになりました。

オーストラリアりゅうがくで得たもの

オーストラリア留学で得たもの

わたしが日本代表メンバーとして初めて出場した女子ラグビーワールドカップは2017年にかいさいされたアイルランド大会です。対戦した世界のきょうごうチームになかなか勝つことができず,結果は1勝4敗に終わりました。わたしが出場できたのは3試合だけ。くやしさの残る大会となりました。
「代表チームに入れたことで満足している選手がいる」という,当時のかんとくの言葉がわすれられません。わたしが名指しされたわけではありませんが,その言葉が自分を見つめ直すきっかけになりました。海外でプレーして自分の弱さをこくふくしよう,もう一度,自分をきたえ直そうと考えたのです。
ラグビーりゅうがくの地として選んだのは,ラグビー強国の一つであるオーストラリアでした。つてをたよりに一人でげんのクラブチームに飛びこみ,体の大きな選手にじって試合を重ねていきました。6か月の間,のびのびとプレーしたおかげで,しょぞくチームでのキャプテンをつとめたつらさや,日本代表としてのワールドカップでのくやしさでわすれていたラグビーの楽しさを思い出すことができました。
りゅうがく中,チームメイトとのコミュニケーションには苦労しましたが,語学学校に通いながら英語を身につけ,少しずつかいできるようにしていきました。そのとき身につけた英語は,いま,YOKOHAMA TKMにしょぞくする5人の外国人選手とのコミュニケーションで役立てています。

ノーサイドのせいしん

ノーサイドの精神

ラグビーを通して,わたしは仲間作りができるようになりました。もともと人見知りのせいかくでしたが,ずっとラグビーをプレーしてきたことで,ねんれいこくせきてきかたに関係なくいろいろな選手と出会い,よい人間関係をつくることができたのです。ラグビーには「ノーサイド」という言葉があります。「試合しゅうりょう」を指す用語なのですが,試合が終わればみんなが仲間だという意味がこめられています。戦いのあとはおたがいのけんとうをたたえ合う,そんなノーサイドのせいしんを宿したラグビーというスポーツがわたしは大好きです。
YOKOHAMA TKMの目標は日本一になること,そしてわたしじんの目標は,2021年にニュージーランドでかいさいされる15にんせいラグビーのワールドカップに出場することです。選手としていつまでプレーできるかはわかりません。いま,チームの最年長選手は36さいですが,世界をわたせば,もっとねんれいが上の選手もたくさんいます。だからいまのわたしは,いつラグビーをやめるのかなどは,まったく考えていません。これからもずっと,大好きなラグビーをプレーしたいと考えています。

しんさいのあった春,父になかされて上京

震災のあった春,父に背中を押されて上京

わたしがラグビーを始めたのは小学一年生のとき。高校までラグビーをプレーしていた父のえいきょうでした。だれよりも早く走ってトライを決めるのがとても楽しかったことを覚えています。姉と兄もいっしょに,いきの同じラグビースクールに入っていました。わたしの出身地はいわけんおおつちちょうです。きんりんかまいしがもともとラグビーのさかんなところなので,このあたりのいきでは多くの子どもたちが,おさないころからラグビーを楽しんでいます。
通っていた中学校にはラグビー部がなく,高校にも女子ラグビー部はありませんでした。そのため「東北ユース女子ラグビー」というチームにしょぞくし,東北各県の仲間といっしょにプレーしていました。その後,大学でもプレーを続けたいと考え,女子ラグビーのきょうごうこうである日本体育大学への進学を決めました。
卒業式を終え,上京をひかえていた2011年3月11日,なみきょうおおつちちょうおそいました。ひがしほんだいしんさいです。家族はみんな無事でしたが,たくぜんかいしてしまい,進学どころではないと思いました。それでも父は「大学でラグビーをしなさい」とわたしなかしてくれました。入学式に間に合うよう,わざわざ東京まで車を運転して送ってくれたのです。
父は,わたしとラグビーを出会わせてくれた人です。いつもわたしのことをおうえんしてくれていました。もちろんいまも変わらず見守ってくれています。

ゆめや目標を周りに伝えてみよう

夢や目標を周りに伝えてみよう

もしもみなさんにかなえたいゆめや目標があれば,ずかしがらずに周りの友だちや家族に打ち明けてみましょう。たとえば「オリンピックに出場したい」というゆめがあるなら,それを正直に,みんなに伝えるのです。そうすることで,自分の言ったことにせきにんが持てるようになります。また周りも,あなたのことを「オリンピック出場を目指してがんばっている人」という目で見るようになるのです。
わたしの場合は,目標を家族に話していました。また言葉にするだけでなく,目標を紙に書いて,いつも目に見える場所にっていました。小・中学生のころは陸上にも熱心に取り組んでいたので,ライバルの名前と目標タイムを書いた紙を部屋にって,気持ちを高めていたものです。それはだれに教わったわけでもなく,自然とするようになったしゅうかんでした。
わたしは,いまもそのしゅうかんを続けています。ベッドであおむけになったとき目に入るよう,てんじょうには「日本代表になる」という言葉と,あこがれの選手の名前が書かれた紙をっているのです。ねむりにつくとき,そして目覚めたときは,いつも自分の目標をあらためてかくにんしています。みなさんもやってみてはいかがでしょう。

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著者の荒木香織さんは,2015年のワールドカップで活躍した男子ラグビー日本代表チームのメンタルトレーナー。この本を読んで,アスリートとして成長するためには,精神面を鍛えるメンタルトレーニングが必要だと気づかされました。

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取材・原稿作成:尾関 友詩(ユークラフト)・東京書籍株式会社/協力:横浜銀行