仕事人

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東京都に関連のある仕事人
1966年 生まれ 出身地 東京都
小島こじま 一幸かずゆき
子供の頃の夢: 映画監督
クラブ活動(中学校): 野球部
仕事内容
大都市とうきょうの海と川のこうで,季節ごとにいろいろな漁をする。150年続くあみりょうわざをもち,でんしょうの活動もしている。かたわら,屋形船をいとなみ,船頭(船長)として船の運航やガイドも行う。
自己紹介
生き物が大好きで,ブルドッグを2ひきっていますし,水族館には1日いてもきません。中学1年のときに公開された「スターウォーズ」の第1作に感動し,えいかんしょうしゅになりました。洋画ほうを問わず,ネット配信などでよく見ています。

※このページに書いてある内容は取材日(2019年05月31日)時点のものです

漁業や屋形船などのふくごうけいえい

漁業や屋形船などの複合経営

わたしは,とうきょうがわの,きゅうがわこうから4kmほどの川岸に住むりょうです。とうきょうディズニーランドはすぐ近くです。この周辺は時代から続くりょうまちで,じまも代々この土地に住み,とうきょうで漁業をしてきました。わたしで9代目になります。
わたしげんざいとうきょう沿えんがんの川のこう周辺や浅い海で,むすしょうな漁業をしています。あみをカーテンのように水中に広げてクロダイやスズキ,カレイなどをとるあみりょう,シジミなどの貝をる漁,つつけてウナギやアナゴをとる漁,そしてときには円形に広がるあみを投げてクロダイやスズキなどをとるあみりょうもしています。
漁業のほかに,つまむすふういっしょに「あみべん」という屋形船のけいえいもしています。げんざいの屋形船は50人も乗れる大きな船で,おだいやレインボーブリッジ,すみがわとうきょうスカイツリーなどの名所をながめつつ,料理やお酒を楽しむ観光ゆうらんせんです。わたしは船頭として,船の運航やガイドをするほか,船内で天ぷらをげるのもわたしたんとうです。
ほかにも,漁のじゅつや漁船をいかした仕事がいくつかあります。ひとつは,公的機関や民間の会社からたのまれる,生き物の調ちょう漁業です。どこにどんな種類の魚がいるのか,大きさや数,成魚かぎょか,季節のちがいはどうかなど,じっさいに漁をして魚をとって調べます。あさにはさまざまな魚のぎょがいて,生き物好き・魚好きのわたしにはとても楽しい仕事です。また,海上や沿えんがんの工事げんで安全を見守る,けいかいせんの仕事も受けています。
一家のしゅうにゅう全体のうち,6わりが屋形船,3わりが漁業,1わり調ちょうけいかいせんなどの仕事,そんなわりあいになっていますね。

今も続くとうきょうの漁業

今も続く東京の漁業

わたしが漁をしているのは,とうきょうけんさかいきゅうがわあらかわこうから10kmぐらいまでのすいいき(海水と川の水がじる場所)や,こうの周辺,あるいは川から流れたすなが積もった「」とばれる海のあさなど,いずれも水深2~6mの浅い場所です。
とる魚によって,漁場や漁法はいろいろです。たとえばウナギは,6月~10月にきゅうがわあらかわで漁をします。太い竹を1mぐらいに切って節をき,3本束ねたものを川にしずめておきます。ウナギは岩のすき間などにかくれるしゅうせいがあり,たけづつにも入るんです。最近ウナギはっているので,りょうげんを守る努力をしており,さんらんのため海に旅立つウナギは,体の色や顔つきで見分けられるので,つつに入ってもがしています。
あみりょうでは,いろいろな魚をとります。初春,海から川にのぼるアユを追ってスズキやクロダイがこうに入ってくるので,これをねらいます。こう周辺では11月ごろまでクロダイやスズキなどがとれますね。また,海のあさでマゴチの漁をすることもあります。12月はマコガレイのさんらんで,西さいりんかいこうえんの前のさんまいに集まるので,ここにあみを入れます。しかし,最近はカレイもとうきょうわんおうでは少なくなってしまい,漁の回数をらすなどしてげんを守るはいりょをしています。
あみりょうは,他の漁の合間にときどき行っています。とった魚は,ほんてきおろしの業者にちょくせつはんばいしています。

とうきょうわんの変化とレジャーのうつわり

東京湾の変化とレジャーの移り変わり

わたしの家は時代から,船遊びの客商売もしてきました。
もともととうきょう沿えんがんは遠浅で,生き物が育つのにさいてきかんきょうでした。さらに大きな川から陸の栄養分が運ばれ,とうきょうわんゆたかな海だったんです。そのため,しおり,ハゼり,船遊びなど海のレジャーもさかんでした。
船遊びにもいろいろあり,りょうの船頭がお客さんの前で,あみりょうで魚をとって食べさせる船遊びの船を「あみぶね」といいました。あみは,広げると円形になるあみです。船頭はすぼめたあみを持ってさきに立ち,かたあしじくにして体を回転させ,遠心力を利用してあみを投げます。するとあみは空中で円形に広がり,そのままの形で水中に落ちます。そして,そこにいた魚をからめとるんです。あみを打つ船頭の姿すがたはなやかで,あみほうのようにバッと広がる様子も絵になります。一種のパフォーマンスですね。しかもスズキ,クロダイ,コチ類など魚もたくさんとれ,船上で洗いやさし,天ぷらにしてお客さんを喜ばせました。
ところが,1950年代半ばからの高度けいざい成長期に海はよごれてしまい,がたもどんどんてられ,船遊びの文化はすたれていきました。わが家が漁をしていたあさめられ,きゅうがわこうの東側のうめたてにはとうきょうディズニーランド,西側には西さいりんかいこうえんができました。
漁場がせまくなり船遊びもすたれ,あみぶねりょうが新しく始めた副業が屋形船です。船が大型化したのは1980年代半ばのバブル期ですね。屋形船はクルーズとえんかいが中心で,あみを打つことはなくなりました。「あみべん」など船宿の名前に「あみ」がつくのと,船内で天ぷらをげるのが,わずかにあみぶねごりです。
あみじゅつえかけましたが,でんとうやすのはもったいないと,わたしたちがわの船宿8けんが中心になり,「あみぞんかい」を立ち上げました。いっぱんの人も参加できるこうしゅうかいあみわざを伝えたり,毎年5月に「おあみまつり」をかいさいしたりしています。なんせきもの屋形船が次々にあみを打つ祭りはゆうそうで,多くの方に喜んでいただいています。

あみは遠心力を利用して打つ

投網は遠心力を利用して打つ

あみは,細いナイロンせいの糸でまれた円形のあみです。あみの周囲には細長いおもりがいくつもつけてあります。おもりは合計10kgほどもあり,投げるときに遠心力を生みます。また,おもりが水底に着くとあみの周囲をふさぎ,魚をがさないやくわりも果たしています。円の中心には8mぐらいのづな(ロープ)がついています。かたほうはしを手首に結んでおき,あみを投げたあとはこれをたぐりせて水中からあみを引き上げます。
あみぶねで行われていたあみりょうは「ほそかわりゅう」といいます。もともとくまもとほそかわはんふうされ,さんきん交代でともなわれたあみちの名人からりょうに伝わったのが由来です。にもあみりょうはありましたが,ほそかわりゅうあみが大きいのがとくちょうです。広げると4じょうはんぐらいになります。空中に広がる様子がダイナミックですし,あみの面積が広いので魚もたくさんとれます。しかし大きいので,あみちのわざがむずかしいんです。
打ち方(投げ方)のコツはじくあしがぶれないように,しっかりたもつことです。かたあしじくにしてこしをひねって体を大きく回転させ,おもりが生む遠心力を利用して投げるんです。ハンマー投げオリンピック金メダリストのむろふしこうさんが,練習にあみを取り入れていたそうです。体のじくたもちつつ回転する点が,あみとハンマー投げとでは共通しているのだと思います。
あみをきれいに広げるには,あみおもりにもつれがないよう,投げる前によくさばいておくことも大事です。風向きにも気をつけます。風下に投げないと,あみはきれいに広がりませんから。あとは,何度もかえし練習するのみです。

しおどきと魚がいる場所を頭にたた

潮時と魚がいる場所を頭に叩き込む

あみりょうは,海のあさこう周辺で行います。魚をとるには「しおどき」が大事です。ほんてきに,まんちょうは魚が広いはんに散っているので,漁には不向きです。かんちょうまんちょうの間のしおの流れが速い時間帯も,水中であみの広がりがしおにつぶされ,魚がかかりにくくなります。一番いいのは,かんちょうからまんちょうに向かうときです。かんちょうのときはくぼんだようなところに魚が集まってきます。その場所を頭に入れておいてあみを打つんです。またこの時間帯はちょうりゅうがゆるいので,あみの広がりが投げた形のままたもてるのです。
水面からは見えない水底のしきも必要です。たとえば,水底の岩などにカキがびっしりついているカキしょうでは,あみがひっかかって魚がげるし,あみやぶれることもあります。でも,カキしょうには小さな生き物がたくさん住みつき,それを食べる魚が集まるいい漁場なんです。ここでのあみちは,わざの見せどころです。重いおもりあみより先に水底に着いたら,あみの部分が底に着く前にすばやくあみをたぐって引き上げるんです。
魚とのかけひきもあります。あみを上げるのを急ぎすぎると,あみに十分からまっていない魚にげられます。手に持つあみに伝わる感覚で,魚があみにかかったかどうかそうぞうするところにも,この漁のおもしろさがあります。
また,船をあやつわざも漁の成功に大きく関わります。あみりょうは,あみを打つ「あみち」と,船をあやつる「かじ」が息を合わせて行うんです。わたしは父のかじをしましたが,今はわたしあみちでむすかじです。あみを打ってからあみをたぐりせるまでの間,かじしおや川の流れに合わせて,あみと船がほどよいきょたもつよう船を動かして協力します。わたしは父にずいぶんきびしくまれましたが,かじけいけんによって,魚がとれる場所を数えきれないほど覚えましたし,水中のあみじょうたいそうぞうする力もついたように思います。

漁にはいつも新たなおどろきや発見がある

漁にはいつも新たな驚きや発見がある

子どものころからやっている仕事ですし,あまり苦労に思うことはありません。ただ,夏の暑さが年々きびしくなって,船上の作業はきついですね。海の中もおんだんが進んでいますよ。クロダイに近い仲間で南の海に住むキビレ(キチヌ)がえましたし,先日はカライワシという見たこともないなんぽうけいの魚がとれて,かんきょうの変化を実感します。
なやみといえば,魚がとれなくなっていることですね。公害の時代にくらべるととうきょうわんの水はきれいになりましたが,あさてられたことで,海底のかんきょうは悪くなる一方です。とくに夏場には海底がさんじょうたいになり,コチやハゼ,カレイなど,海底で生活する魚がきゅうげきっています。以前は,大気中からさんあさが広がっていて,魚たちはそこになんできたのですが。また,コンクリートがんえて,魚の食べ物のゴカイやカニなどが生息できなくなったことも,魚がとれないげんいんのひとつではないかと思います。
それでも,海に出るのは気持ちがいいし,漁には「今日はどこで,どんな魚がとれるだろう」というワクワク感がありますね。わたしが魚や生き物好きということもあるでしょうが,毎日新しいおどろきや発見があって,漁業は本当に楽しいです。
屋形船は,多くの人の命をあずかるので安全面でしんけいを使います。少し風や波がある日には,とくにしんちょうに船を動かします。でも,春のすみがわのサクラ,夏の花火とのうりょう,冬のイルミネーションなど,屋形船には四季折々の楽しみがあり,お客さんが「きれいだね」と喜んでくださるとうれしいですね。

でんとうりょうと海の大切さを伝える使命

伝統漁と海の大切さを伝える使命

ほそかわりゅうあみは,末期から150年も続くでんとう文化です。これを次の世代につなぐことは,わたしの使命だと思っています。同時に,船遊びであみが行われていたまえの海がゆたかな時代を知る者として,海のかんきょうの大切さを伝えることにもせきにんを感じています。
とうきょうの漁業をやさないことにも,強い思いがあります。今は魚がっているし,クロダイやスズキなどはだんが安くてあまりしゅうにゅうになりません。でも,海のことを一番知っているのはりょうです。とうきょうからりょうがまったくいなくなれば,とうきょうの海のかんきょうを見守る目がなくなってしまいます。
今,細かいプラスチックへんの海ごみ「海洋プラスチック」が,大きなかんきょう問題になっています。じっさいに目の細かいあみで海水をすくうと,プラスチックごみのへんがたくさんとれます。この問題などは,ひとりひとりのしきが変わることで,かいぜんできるはずです。
そうしたしきを変えるきっかけとして,船遊びのあみぶねふっかつさせたいなと,今,本気で考えているんです。小船にお客さんを乗せて,あみを打って魚を食べさせる,昔ながらの船遊びです。でんとうあみ文化や海の自然にふれてとうきょうの魚を食べ,海のかんきょうを守ろうという気持ちになってもらえたらなと,そんなことをゆめています。

10さいから父を手伝い漁のしゅぎょう

10歳から父を手伝い漁の修行

わたしは,きょうだいでただ1人の男の子だったので,生まれたときから「しょうらい,船頭さんになるんだよ」と言われて育ちました。10さいごろからは,土日に父の仕事を手伝わされるようになりました。漁の仕事,あみしゅう,お客さんを乗せるあみぶねの仕事,覚えることはたくさんありました。遊びたいざかりだから,手伝いはいやで仕方なかったですね。
あみぶねの手伝いは,最初はかじで,中学生になったころからあみちも習うようになりました。あみがうまく広がらずに魚がとれないと,なかにお客さんのはんのうが聞こえて,ずかしかったですね。でも,多くのお客さんがごしゅうをくれたので,それだけは楽しみでした。
やがて高校を卒業すると,すんなり家の仕事にきました。子どものころからまれたせいでしょうか,家の仕事をぐのは自然のなりゆきのような感じでした。
ちょうどそのころが,あみぶねから屋形船にうつわる時代で,あみぶねに乗ってお客さんのためにあみを打った時期は短かったですね。でも,漁業としてのあみりょうはずっと続けてきましたし,でんしょうのためにむすわかい人たちに教えることができるのも,父にきびしくわざんでもらったおかげだと,今ではかんしゃしています。

水辺は生き物であふれかえっていた

水辺は生き物であふれかえっていた

わたしが子どものころは,空き地で野球やかんり,おにごっこなどをして,暗くなるまで遊んでいました。もちろん家の前のきゅうがわも遊び場で,川は生活の一部みたいなものでした。今は高いコンクリートのぼうていがんができて水辺には近づけませんが,昔は低い土手がヨシのしげる川辺に続いていました。当時の川は,生き物であふれかえっていたものです。
かんちょうになると岸はがたになるのでゴカイをって,それをえさにハゼをりました。夏から秋にかけて,たくさんれたものです。川の土手は,ハゼりの人でびっしりめつくされるほどでしたよ。今はそれがうそのように,ハゼは姿すがたを消してしまいましたね。
わたしたちの食べ物は,すべて自然からいただくめぐみです。ですから,自然をこわしたり,きずつけたり,よごしたりしたら,その結果はすべて自分たちにはね返ってきます。みなさんには,自然のかんきょうを大事にする心,そして行動にうつす力をもってほしいなと思います。自然を大切にする心は,自然にふれることで生まれると思います。公園や庭などの身近な自然もいいですが,ときには海や川にも遊びにきてくれたらうれしいですね。

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取材・原稿作成:大浦 佳代/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク